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室生寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
室生寺
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[[ファイル:室生寺五重塔005.jpg|thumb|500px|]] '''室生寺'''(むろうじ)は、奈良県宇陀市室生(大和国宇陀郡)にある[[真言宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[釈迦如来]]。[[真言宗室生寺派]]大本山。[[興福寺]]賢璟が創建したという。鎮守は[[室生龍穴神社]]。[[空海]]中興の伝説があり、[[恵果]]から授けられた[[如意宝珠]]が山内に収められたともいう。'''女人高野'''の異名がある。[[役小角]]創建の説もある。中世には[[東大寺戒壇院]]円照門下の忍空が復興し、興福寺末のまま、戒壇院、[[唐招提寺]]、[[西大寺]]の律僧が住職を務めた。[[関東祈祷所]]。室生流神道(御流神道)も盛んになった。江戸時代、[[隆光]]が再興して[[新義派]]となる。周辺には九穴八海と呼ばれる霊地があるという。龍王寺とも呼ばれた。悉知院と号す。山号は〓生山、宀一山。 ==歴史== *680年:一説に天武天皇の勅願で役小角が室生寺を創建。 *宝亀:賢璟、皇太子病気平癒修法 *817年:修円が室生山で祈雨祈祷を行う(日本紀略) *824年:空海が神泉苑祈雨の後、龍王を室生山に祀り、伽藍を整備したという *嘉祥3年:堅恵、仏隆寺を創建。 *貞観4年:藤原基経、派遣され封戸1000戸を寄進。 *867年8月16日:龍穴神、従五位下から正五位下となる(三代実録)。龍王寺と称する。 *910年8月23日:龍穴神、従四位下(日本紀略)。 *961年8月14:龍穴神、正四位下(日本紀略)。 *1299年(正安1年):覚園寺心慧の申請で関東祈祷所に列格した13寺の一つ。 *1308年:灌頂堂(本堂)建立。 *1314年:「宀一山年分度者奏状」書写 *1316年(正和5年):律宗の忍空が入寺して以後、江戸時代まで律僧が長老(住職)となる。 *1694年(元禄7年)10月:隆光の請願で新義真言宗となる。 *1695年:桂昌院の寄進で堂塔修理。 *1698年:興福寺から完全に離脱 *1700年:30石寄進 *1705年:70石を加増し100石となる。 *1835年3月:空海1000年忌。 *安政4年7月10日:火災。講堂、書院など焼失。 *万延1年:奥之院参道に石段敷設 *明治4年:境内地上地。 *1962年(昭和37年)12月17日:豊山派より離脱してこの日、認証される。 *1964年:真言宗室生寺派を設立。法人登記?現在は非法人? ==伽藍== *金堂:本尊は釈迦如来。元は薬師如来だったが興福寺系の僧侶が春日本地五仏を配して釈迦如来に変えた。伽藍は9世紀後半建立とみられる。 *五重塔:本尊は金剛界五仏。奈良時代末もしくは平安時代初の建立。16mほどの小ぶりの塔。 *本堂:本尊は如意輪観音。灌頂堂・真言堂とも呼ばれる。金堂と別に本堂があるのは珍しいが「本堂というようになったのはそれほど古くない」(日本歴史地名大系)という。1308年(延慶1年)の建立。 *弥勒堂:本尊は弥勒菩薩。釈迦如来も祀る。[[興福寺伝法院]]を本尊と共に移築したといわれ、伝法院とも呼ばれた。 *僧坊 *護摩堂 *北畠親房墓 *桂昌院墓 *隆光墓 *修円墓:修円僧都廟。 *織田常真墓 *龍穴神社遥拝所 *御影堂:空海を祀る。奥之院。大師堂。鎌倉時代末期の造営か。 *納経塔:[[如意宝珠]]を埋めたと伝える如意山上にある。 *西の覗・東の覗 *[[室生龍穴神社]]:鎮守。[[善女龍王]]を祀るとも。 国史大辞典、日本歴史地名大系 *四門 **南門:[[仏隆寺]]:奈良県宇陀市榛原。真言宗室生寺派。 **北門:丈六寺:三重県名張市赤目町丈六。 **東門:長楽寺:奈良県宇陀市室生。[[融通念仏宗]]。 **西門:[[大和・大野寺|大野寺]]:奈良県宇陀市室生大野。真言宗室生寺派。 *堅恵窟:仏隆寺にある? ==組織== ===古代住職=== *役小角 *賢璟(714-793): *修円(771-835):興福寺別当4世。長谷寺別当10世。 *[[空海]](774-835): *堅恵():天台僧。空海の弟子とするのは後世の付会ともいう。[[仏隆寺]]開山。 ===中世=== 長老。[[東大寺戒壇院]]、[[西大寺]]、[[唐招提寺]]系の律宗の傘下にあった。 *1智恵()<1266->:1266年(文永3年)就任。 *2成増()<1297->:1297年(永仁5年)就任。 *3忍空()<1316->:空智房。[[東大寺戒壇院]]出身。円照の弟子。1316年(正和5年)就任。 *4本地()<>:元往2年??就任。 *5原初()<1350->:1350年(観応1年)就任。 *6元初()<1384->:1384年(元中1年/至徳1年)就任。 *7隆海()<1394->:1394年(応永1年)就任。 *8良秀()<1395->:1395年(応永2年)就任。 *9法海(?-1462)<1436->:1436年(永享8年)就任。1461年(寛正2年)6月13日、[[橘寺]]住職。1462年(寛正3年)11月死去。愛染院に住す。 *10栄弘()<>:文永14年??就任。 *11玄海()<1515->:1515年(永正12年)就任。 *12玄開()<1544->:1544年(天文13年)就任。 *13栄俊()<1575->:1575年(天正3年)就任。 *14養玄()<1609->:1609年(慶長14年)就任。 *15建海(1568-1646)<1610->:1568年(永禄11年)生。1610年(慶長15年)就任。1646年(正保3年)10月死去。 *16性演(1610-1674)<1634->:1634年(寛永11年)就任。[[蓮華光院門跡]]中興。[[東大寺尊勝院]]院主。 (「明暦四年現住性演筆記」『奈良県宇陀郡史料』より) ===近世=== *空印()<?-1694>:律僧として最後。1694年(元禄7年)10月退任。 *1[[隆光]](1649-1724)<>:興福寺末を転じて[[護国寺]]末とする。実際には住職にはなっていない。唯密中興と呼ばれる。 *2快意(?-1724)<1695-1695>:[[長谷寺梅心院]]住職。1695年(元禄8年)2月、隆光の推薦で就任。のち、[[江戸・弥勒寺]]11世。[[護国寺]]3世。[[江戸・護持院]]12世。(略歴は、[[江戸・護持院#組織]]を参照) *3澄岸()<1695->:[[長谷寺良興院]]住職。1695年(元禄8年)11月就任か。29年在職。事実上の初代。俊典。 *4栄伝()<>: *5密山()<>:4世とも。 *6憲清()<>:弥勒寺22世。 *7鏡運()<>: *8恵温()<>: *9剛宝()<>:著書『室生寺略縁起』 *10儀貞(1732-1802)<>:長谷寺33世。上野国菊池村の出身。1732年(享保17年)生。初瀬川氏。徳昌寺に入る。長谷寺で学ぶ。圭賢から伝法灌頂。長谷寺の雲井院、梅心院を経て1783年(天明3年)7月25日、室生寺住職。1791年(寛政3年)6月14日、将軍の命令で根生院23世。1796年(寛政8年)4月16日、護持院29世。権僧正。同年10月7日長谷寺化主に転任。1802年(享和2年)3月11日死去。字は本昌。 *11暁恵(1731-1803)<>:長谷寺35世。下総国布瀬村の出身。1731年(享保16年)生。宝寿院に入る。宝寿院、臼井松虫寺、江戸日輪院に住す。長谷寺の一臈を経て室生寺に入る。根生院26世。1802年(享和2年)7月、長谷寺化主。1803年(享和3年)3月1日死去。73歳。字は存詮。 *12亮雅()<>: *13快貞()<>: *14宥弁()<>: *15鑁貞()<>: *16明阿()<>:信濃国出身。灌光。 *17文精()<>:覚〓 *18光雄()<>:鳳瑞。19世とも。 *19啓本()<>: *20諦導()<>: *宥音()<>: 「室生寺沿革」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978809/24] ===近代=== {|class="wikitable" |- !style="width:5%" |世数 !style="width:10%" |名 !style="width:10%" |生没年 !style="width:10%" |在職年 !style="width:65%" |略歴 |- |22 |正城全鏡 |1835-1915 | |[[豊山派]]管長。[[長谷寺]]60世。[[根来寺]]座主。[[三保谷広徳寺]]住職。越後国出身。1835年(天保6年)生。1852年(嘉永5年)長谷寺で学ぶ。1879年(明治12年)室生寺住職か。1881年(明治14年)三保谷広徳寺住職。1905年(明治38年)11月28日(1月25日?)から1911年(明治44年)3月まで豊山派管長・長谷寺化主。1907年(明治40年)3月1日(1908年(明治41年)とも)、[[根来寺]]座主。1910年(明治43年)2月10日、根来寺座主再任。1911年(明治44年)3月31日、管長退任。1915年(大正4年)10月31日死去。 |- |23 |丸山貫長 |1843-1927 |1882-1894 |長野県安曇野出身。1843年(天保14年)生。1858年(安政5年)安曇満願寺で修行。1861年(文久1年)長谷寺で修行。1874年(明治7年)[[長谷寺普門院]]住職。訓導。1878年(明治11年)室生寺に入る。1882年(明治15年)から1894年(明治27年)まで室生寺住職。1905年(明治38年)[[大蔵寺]]住職。1927年(昭和2年)6月7日死去。 |- |24 |慶雲海量 |1833-1900 |1896-1900 |豊山派管長初代。長谷寺57世。根来寺座主。上総国木更津出身。1833年(天保4年)生。1850年(嘉永3年)長谷寺で修行。1855年(安政2年)徳蔵寺住職。1881年(明治14年)[[長谷寺能満院]]住職。1886年(明治19年)定額僧。1887年(明治20年)菩提院結衆。上総長楽寺を兼務。1895年(明治28年)7月、室生寺特命住職。1896年(明治29年)室生寺住職。1897年(明治30年)新義派大学林主管・真言宗東京高等中学林長。1898年(明治31年)5月31日、長谷寺化主。1899年(明治32年)4月14日、根来寺座主。1900年(明治33年)8月10日の豊山派独立と共に管長就任。1900年(明治33年)10月10日死去。 |- |25 |高城義海 |1836-1911 |1900-1902 |長谷寺61世。豊山派初代宗務長。福井県鯖江市出身。1836年(天保7年)生。[[護国寺]]住職。1900年(明治33年)真言宗豊山派独立と共に9月に初代宗務長。10月、管長事務取扱。11月、室生寺を兼務。1902年(明治35年)4月22日、室生寺兼務住職を退任[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192194/1/142]。1911年(明治44年)3月31日、豊山派管長(長谷寺化主も?)。5月11日死去。 |- |26 |高間一明 | |1902- |自坊は歓喜院。1902年(明治35年)4月22日、室生寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192194/1/142]。 |- |27 |荒木良仙 |1879-1947 |1927- |長谷寺69世。豊山派管長。1879年(明治12年)生。1927年(昭和2年)12月21日、別格本山室生寺住職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1192001/1/68]。1942年(昭和17年)2月16日、長谷寺化主就任。1946年(昭和21年)3月1日、真言宗豊山派の再独立にともない、豊山派管長に就任。同年、管長化主共に退任。1947年(昭和22年)1月22日死去。 |- |28 |網代智海 |1891-1969 |1947- |[[真言宗室生寺派]]初代管長。豊山派管長。長谷寺71世。1891年(明治24年)生。1947年(昭和22年)室生寺座主。1949年(昭和24年)8月2日長谷寺化主・豊山派管長に当選。1955年(昭和30年)6月17日管長再選(1957年(昭和32年)まで)。1962年(昭和37年)、室生寺を豊山派から離脱させ、1964年(昭和39年)、真言宗室生寺派を創設。1969年(昭和44年)死去。 |- |29 |下村聖栄 | | |1925年(大正14年)蓮華寺住職。 |- |30 |網代智等 |1922-2014 |1989-2013 |福島県出身。自坊は東京蓮華寺。1922年(大正11年)生。[[大正大学]]卒。1948年(昭和23年)室生寺執事。1949年(昭和24年)長谷寺専修学林幹事。1960年(昭和35年)蓮華寺住職。文部省管理局に勤務。1962年(昭和37年)金沢大学講師。1964年(昭和39年)国立科学博物館庶務課長。1987年(昭和62年)室生寺住職代務者。1989年(平成1年)から2013年(平成25年)まで室生寺座主・室生寺派管長。2014年(平成26年)1月15日死去。 |- |31 |網代智明 |1950- |2013-2022 |福島県出身。自坊は福島真浄院。1950年(昭和25年)生。1973年(昭和48年)大正大学卒。2007年(平成19年)宗務総長。2009年(平成21年)真浄院住職。2013年(平成25年)から2022年(令和4年)まで室生寺座主・室生寺派管長。 |- |32 |下村聖登 |1941- |2022- |自坊は東京龍光寺。1941年(昭和16年)生。大正大学卒。2013年(平成25年)宗務総長。2022年(令和4年)4月1日、室生寺座主・室生寺派管長。 |} ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:室生寺・境内001.jpg| file:室生寺・境内002.jpg| file:室生寺・境内003.jpg| file:室生寺・境内004.jpg| file:室生寺・境内005.jpg| file:室生寺・境内006.jpg| file:室生寺・境内007.jpg| file:室生寺・金堂001.jpg| file:室生寺・金堂002.jpg| file:室生寺・金堂003.jpg| file:室生寺・桂昌院墓001.jpg| file:室生寺・桂昌院墓002.jpg| file:室生寺・桂昌院墓003.jpg| file:室生寺・護摩堂001.jpg| file:室生寺・護摩堂002.jpg| file:室生寺・護摩堂003.jpg| file:室生寺・護摩堂004.jpg| file:室生寺・修円墓.jpg| file:室生寺・織田家墓地001.jpg| file:室生寺・織田家墓地002.jpg| file:室生寺・織田家墓地003.jpg| file:室生寺・織田家墓地004.jpg| file:室生寺・仁王門.jpg| file:室生寺・天神社001.jpg| file:室生寺・天神社002.jpg| file:室生寺・天神社003.jpg| file:室生寺・天神社004.jpg| file:室生寺・北畠親房墓001.jpg| file:室生寺・北畠親房墓002.jpg| file:室生寺・北畠親房墓003.jpg| file:室生寺・北畠親房墓004.jpg| file:室生寺・本堂001.jpg| file:室生寺・本堂002.jpg| file:室生寺・本坊001.jpg| file:室生寺・本坊002.jpg| file:室生寺・本坊003.jpg| file:室生寺・本坊004.jpg| file:室生寺・弥勒堂001.jpg| file:室生寺・弥勒堂002.jpg| file:室生寺・薬師堂.jpg| file:室生寺奥之院001.jpg| file:室生寺奥之院002.jpg| file:室生寺奥之院003.jpg| file:室生寺奥之院004.jpg| file:室生寺奥之院005.jpg| file:室生寺奥之院006.jpg| file:室生寺奥之院007.jpg| file:室生寺五重塔001.jpg| file:室生寺五重塔002.jpg| file:室生寺五重塔003.jpg| file:室生寺五重塔004.jpg| file:室生寺五重塔005.jpg| </Gallery> <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> file:室生寺住職墓地A001.jpg| file:室生寺住職墓地A002.jpg| file:室生寺住職墓地A003.jpg| file:室生寺住職墓地A004.jpg| file:室生寺住職墓地A005.jpg| file:室生寺住職墓地A006.jpg| file:室生寺住職墓地A007.jpg| file:室生寺住職墓地A008.jpg| file:室生寺住職墓地A009.jpg| file:室生寺住職墓地A010.jpg| file:室生寺住職墓地A011.jpg| file:室生寺住職墓地A012.jpg| file:室生寺住職墓地A013.jpg| file:室生寺住職墓地A014.jpg| file:室生寺住職墓地A015.jpg| file:室生寺住職墓地A016.jpg| file:室生寺住職墓地A017.jpg| file:室生寺住職墓地B001.jpg| file:室生寺住職墓地B002.jpg| file:室生寺住職墓地B003.jpg| file:室生寺住職墓地B004.jpg| file:室生寺住職墓地B005.jpg| file:室生寺住職墓地B006.jpg| file:室生寺住職墓地B007.jpg| file:室生寺住職墓地B008.jpg| file:室生寺住職墓地B009.jpg| file:室生寺住職墓地B010.jpg| file:室生寺住職墓地B011.jpg| file:室生寺住職墓地B012.jpg| file:室生寺住職墓地B013.jpg| file:室生寺住職墓地B014.jpg| file:室生寺住職墓地B015.jpg| file:室生寺住職墓地B016.jpg| file:室生寺住職墓地B017.jpg| file:室生寺住職墓地B018.jpg| file:室生寺住職墓地B019.jpg| file:室生寺住職墓地B020.jpg| file:室生寺住職墓地B021.jpg| file:室生寺住職墓地B022.jpg| file:室生寺住職墓地B023.jpg| </Gallery> ==資料== ===古典籍=== *『宀一山秘密記』:仁海著。[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100149208/viewer/1] *『宀一山年分度者奏状』 *『宀一山記』:続群書類従。大日本仏教全書。融円著。1353年(正平8年/文和2年)。 *『宀一秘記』:大日本仏教全書。宀一山記の異本。 *『宀一山縁起』: *『室生山御舎利相伝縁起』:宗明。続群書類従。大日本仏教全書。[https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100045193/viewer/1] *『室生山争論之記』 *『室生寺略縁起』:剛宝著。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2536164] *『宀一山伝流箱目録』:大日本仏教全書。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952682/290] *『宀一山室生寺世代略記』 *『宀一山龍穴舎利奉納秘記』:『元要記』所収 *『和州室生山霊宝之目録』 *『室生寺文書』: *「室生寺古墳発掘一件」:伝北畠親房墓の調査。1916年(大正5年)。『奈良県庁文書』[https://meta01.library.pref.nara.jp/opac/repository/repo/5960/?lang=0&mode=0&opkey=R165019906637498&idx=8#?c=0&m=0&s=0&cv=0&r=0&xywh=0%2C-24%2C2479%2C1791] ===調査報告など=== *奈良県1919「室生寺境内墳墓発掘報告」『奈良県史蹟勝地調査会報告書』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/944557/133] *1966『国宝室生寺本堂修理工事報告書』 *1976『重要文化財室生寺御影堂修理工事報告書』 *1979『国宝室生寺五重塔修理工事報告書』 *1984『重要文化財室生寺弥勒堂修理工事報告書』 *1991『国宝室生寺金堂修理工事報告書』 *2000『国宝室生寺五重塔(災害復旧)修理工事報告書』 *2007『室生寺奥の院発掘調査報告書』 *元興寺仏教民俗資料研究所1976『室生寺籾塔の研究』 *元興寺文化財研究所2012『室生寺の版木』 *東京国立博物館1999『図録女人高野 室生寺のみ仏たち』 *仙台市博物館2014『図録奈良・国宝室生寺の仏たち』 ===文献=== *川井景一1895『和州社寺大観』「室生寺」[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/818797/54] *1917『奈良県宇陀郡史料』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E5%AE%87%E9%99%80%E9%83%A1%E5%8F%B2%E6%96%99/9kqn3QUq4AYC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP477] *高明一明1924『室生寺聚芳』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978809] *奈良美術研究会1924『室生寺大観』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970792][https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970793][https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970794] *荒木良仙1929『室生の龍穴』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E5%AE%A4%E7%94%9F%E3%81%AE%E7%AB%9C%E7%A9%B4%E5%85%B6%E3%81%AE%E4%BB%96/42iPzKBO388C?hl=ja&gbpv=0] *荒木良仙1929『伽藍護法神龍穴社』[https://www.google.co.jp/books/edition/%E4%BC%BD%E8%97%8D%E8%AD%B7%E6%B3%95%E7%A5%9E%E7%AB%9C%E7%A9%B4%E7%A4%BE/JHx0Hk60ggUC?hl=ja&gbpv=1&pg=PP4] *荒木良仙1929『集議制雑記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1092140] *荒木良仙1931『室生雑記』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178672] *永島福太郎1936「室生寺百万人会勘録と足利鑁阿寺」『大和志』25 *堀井三友1939『室生寺と仏隆寺』[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1096546] *中村春寿1953「資料 室生寺弥勒堂発見籾塔」『大和文化研究』2 *薗田香融1959「草創期室生寺をめぐる僧侶の動向」『京都大学文学部読史会創立五十年記念国史論集』 *小林剛1960「室生寺の金堂五仏について」『文化史論叢』6 *北川桃雄1963『室生寺』 *猪熊兼繁1963『室生の竜穴』 *1966『室生村史』 *西田長男1967「室生寺の開基―東寺観智院本『宀一山年分度者奏状』の紹介によせて1~2」『神道及び神道史』 *逵日出典1970『室生寺及び長谷寺の研究』 *逵日出典1979『室生寺史の研究』 *逵日出典1995『室生寺―山峡に秘められた歴史』 *田中重治1972「室生寺金堂と創建当初の安置仏」『史迹と美術』42-1 *玉橋隆寛1974「隆光と室生寺について」[https://doi.org/10.4259/ibk.23.228] *堀池春峰1976「宀一山図と室生寺」『日本仏教史学』11:『南都仏教史の研究下』再録 *毛利久編1976『大和古寺大観6室生寺』 *納富常天1977「室生寺と金沢称名寺釼阿」『金沢文庫研究』22-7 *田中恵1979「春泰のこと―室生寺史に関する一視点」[http://doi.org/10.15113/00011958] *田中恵1980「室生寺金堂尊像について―様式とその背景に関して」[http://doi.org/10.15113/00011912] *久野健1982『室生寺と南大和の古寺』 *八田幸雄1991「室生、長谷、大神神社の神仏習合の源流」[https://doi.org/10.18963/chisangakuho.40.0_53] *門屋温1997「「宀一山土心水師」をめぐって」『説話文学研究』32 *藤巻和宏2000「初瀬の龍穴と〈如意宝珠〉―長谷寺縁起の展開・「宀一山」をめぐる言説群との交差―」[http://hdl.handle.net/2065/43722] *藤巻和宏2001「宀一山と如意宝珠法をめぐる東密系口伝の展開―三宝院流三尊合行法を中心として―」『むろまち』5 *藤巻和宏2002「如意宝珠をめぐる東密系口伝の展開と宀一山縁起類の生成―『宀一山秘密記』を中心として―」『国語国文』71-1 *藤巻和宏2003「宝珠をめぐる秘説の顕現―随心院蔵『宀一山秘記』の紹介によせて―」『古典遺産』53 *藤巻和宏2004「随心院蔵『宀一山龍穴秘記』と安禅寺旧蔵聖教群」『随心院聖教と寺院ネットワーク』1 *藤巻和宏2017『聖なる珠の物語―空海・聖地・如意宝珠』 *藤巻和宏2019「『宀一秘記』のゆくえ―『大和志料』編者の引用文献はなにか」[http://id.nii.ac.jp/1391/00020281/] *野間和則2005「室生遊心記(1)―室生寺の創建について」[http://id.nii.ac.jp/1391/00013341/] *柳澤一宏2009「室生寺における石造物の基礎調査」『由良大和古代文化研究協会研究紀要』14 *内田啓一2012「室生寺蔵真言八祖画像について―室生寺中興空智房忍空との関係から」『仏教芸術』320 *西木政統2014「室生寺金堂薬師如来立像と天台系薬師如来」[https://doi.org/10.24581/nihonbashi.13.0_94] *スティーブン・トレンソン2016「真言密教の龍神信仰と室生山」『祈雨・宝珠・龍』 *太田均2018「室生寺弥勒堂弥勒菩薩立像について」[http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN10533924-201802-1103] *太田均2020「初期室生寺に関する一考察:『宀一山年分度者奏状』の解釈を中心に」[http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN10533924-202002-1101] *太田均2021「室生寺金堂・本尊薬師(伝釈迦)如来立像の制作背景について」[http://repo.nara-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=AN10533924-20210200-1104] *伊藤寿和2020「中世の密教僧が描いた特異な「独鈷型日本図」に関する歴史地理学的研究─大和国の室生寺と仏隆寺を中心として─」[http://id.nii.ac.jp/1133/00003138/] [[Category:奈良県]]
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