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宮城県護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
宮城県護国神社
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[[file:宮城県護国神社 (10).jpg|thumb|伊達政宗像|400px]] '''宮城県護国神社'''(みやぎけん・ごこくじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区の青葉城跡にある[[招魂社]]。祭神は宮城県の戦没者。私祭招魂社。[[内務大臣指定護国神社]]。[[別表神社]]。'''仙台招魂社'''。占領中は'''宮城神社'''と称した。 ==祭神== *5万5798柱(靖国神社百年史) *5万6091柱(全国護国神社一覧) 宮城県のほか、福島県・新潟県・山形県など第二師団管内も範囲に入る。 ==歴史== 1898年(明治31年)に昭忠会を結成し、佐賀の乱以来の追悼祭を行う。1902年(明治35年)、昭忠碑を建立(現存)し、1904年(明治37年)8月27日に青葉城本丸跡に招魂社が創建される。 1939年(昭和14年)4月1日、内務大臣指定の「宮城県護国神社」となる。 1945年(昭和20年)7月10日未明、空襲により焼失。9月19日、秋保神社(あきう:仙台市太白区秋保町)を仮宮として遷座。1950年(昭和25年)に復興委員会を結成し、1952年(昭和27年)境内地の譲渡を実現した。1953年(昭和28年)4月29日、市内に奉斎殿を造営し、仮宮より遷座した。天守台にも仮宮が設けられた。また1953年(昭和28年)から1967年(昭和42年)まで大町頭に「奉斎殿里宮」があった。 本社本殿は[[伊勢神宮]][[風宮]]正殿古材を拝領して造営されることになり、1958年(昭和33年)8月6日に竣工し遷座した。1953年(昭和28年)には拝殿と宝殿が造営された。1947年(昭和22年)7月21日、「宮城神社」と改称。1957年(昭和32年)8月20日、宮城県護国神社に復した。関連組織として、宮城県護国神社奉賛会、宮城県連合遺族会がある。 *1898年(明治31年)11月25日:昭忠会を結成し、佐賀の乱以来の追悼祭。(『靖国神社百年史』) *1902年(明治35年)7月15日:昭忠碑を建立。(『靖国神社百年史』) *1904年(明治37年)8月27日:仙台青葉城本丸址に招魂社創建。(『靖国神社百年史』) *1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定の「宮城県護国神社」となる。(『靖国神社百年史』) *1945年(昭和20年)7月10日:未明に戦災で全焼。(『全国護国神社会二十五年史』) *1945年(昭和20年)8月24日:終戦奉告祭。(神社ウェブサイト) *1945年(昭和20年)9月19日:秋保神社仮宮へ遷座(神社ウェブサイト) *1947年(昭和22年)7月21日:「宮城神社」と改称。(『全国護国神社会二十五年史』) *1948年(昭和23年)11月23日:戦後初のみたま祭(神社ウェブサイト) *1950年(昭和25年)3月4日:復興委員会を結成。(『全国護国神社会二十五年史』) *1952年(昭和27年)2月19日:国より境内地を有償譲渡。32000坪。(神社ウェブサイト) *1952年(昭和27年):合祀祭。(神社ウェブサイト) *1953年(昭和28年)4月29日:奉斎殿(里宮)造営。秋保神社仮宮より遷座。大東亜戦争戦没者合祀祭。復興第一次事業(神社ウェブサイト) *1953年(昭和28年)8月6日:御木曳祭。[[伊勢神宮]]外宮別宮[[風宮]]正殿古材を下賜される。1954年(昭和29年)?(神社ウェブサイト) *1954年(昭和29年)2月13日:地鎮祭(神社ウェブサイト) *1954年(昭和29年):合祀祭。(神社ウェブサイト) *1955年(昭和30年):合祀祭。(神社ウェブサイト) *1956年(昭和31年):合祀祭。(神社ウェブサイト) *1957年(昭和32年)8月20日:「宮城県護国神社」に復称。(『全国護国神社会二十五年史』) *1957年(昭和32年)9月19日:上棟祭(神社ウェブサイト) *1958年(昭和33年)8月6日:本殿正遷座祭。復興第二次事業。(『全国護国神社会二十五年史』) *1958年(昭和33年)8月7日:正遷座奉祝大祭。(神社ウェブサイト) *1958年(昭和33年):合祀祭。(神社ウェブサイト) *1960年(昭和35年):別表神社加列。 *1960年(昭和35年)10月23日:合祀概了奉告。幣饌料(『全国護国神社会二十五年史』) *1960年(昭和35年)11月9日:拝殿地鎮祭。(神社ウェブサイト) *1963年(昭和38年)5月18日:[[昭和天皇]]・皇后、参拝 幣帛料(『全国護国神社会二十五年史』) *1963年(昭和38年)6月4日:拝殿宝殿造営。復興第三次事業。(『全国護国神社会二十五年史』) *1965年(昭和40年)10月15日:復興委員会、解散。(神社ウェブサイト) *1965年(昭和40年)10月22日:合祀祭。(神社ウェブサイト) *1965年(昭和40年)10月23日:終戦20年祭。幣饌料(『全国護国神社会二十五年史』) *1967年(昭和42年)7月31日:別宮2殿を造営。奉斎殿移築。参道整備。(神社ウェブサイト) *1969年(昭和44年)10月22日:合祀祭。(神社ウェブサイト) *1975年(昭和50年)10月22日:合祀祭。(神社ウェブサイト) *1975年(昭和50年)10月23日:30年祭。幣饌料(神社ウェブサイト) *1979年(昭和54年)3月20日:青葉城資料展示館(神社ウェブサイト) *1984年(昭和59年)4月27日:鎮座80年記念事業。社殿修復。神橋・神池、新設。参集殿造営(神社ウェブサイト) *1984年(昭和59年)8月27-29日:「鎮座80年記念奉祝大祭」(神社ウェブサイト) *1985年(昭和60年)10月23日:40年祭。(神社ウェブサイト) *1992年(平成4年)10月6日:宮城県行幸啓。(神社ウェブサイト) *1994年(平成6年)4月21日:鎮魂の泉新設。授与所、神楽殿の新設。資料展示館の増築。(神社ウェブサイト) *1994年(平成6年)8月27日:「鎮座90年記念奉祝大祭」(神社ウェブサイト) *1994年(平成6年):宮城県護国神社奉賛会(神社ウェブサイト) *1995年(平成7年)8月15日:終戦50年(神社ウェブサイト) *1995年(平成7年)10月21日:合祀祭。(神社ウェブサイト) ==境内== *本社:本殿は[[伊勢神宮]][[風宮]]正殿の旧殿。左右宝殿がある。拝殿赤い。昭和造営時は護国神社様式だったが、戦後は違う。 *別宮浦安宮:1967年(昭和42年)創建。左宮は[[天照坐皇御神]]ほか3柱。右宮は白水稲荷大神・伊達政宗。 *奉斎殿:かつて公園そばにあった。 <Gallery widths="240" heights="240" perrow="3"> file:宮城県護国神社 (1).jpg|鳥居 file:宮城県護国神社 (9).jpg|拝殿 file:宮城県護国神社 (11).jpg|慰霊碑 file:宮城県護国神社 (2).jpg|社標 file:宮城県護国神社 (3).jpg|制札 file:宮城県護国神社 (4).jpg|浦安宮 file:宮城県護国神社 (5).jpg|浦安宮 file:宮城県護国神社 (6).jpg|浦安宮 file:宮城県護国神社 (7).jpg|浦安宮 file:宮城県護国神社 (8).jpg|浦安宮 </Gallery> ==組織== ===受持神官=== *田中靖麿(1912-)<1937->:下記参照。 ===歴代社司・宮司=== *佐藤重三郎(1883-1952)<-1944>:[[塩竈神社]]宮司。宮城県護国神社社司を兼務か。1944年[[関東神宮]]宮司に転任。(略歴は、[[関東神宮#組織]]を参照) *田中靖麿(1912-)<1944->:1912年生。昭和5年、東京修道学院卒。昭和8年、皇典講究所宮城分署主事。昭和12年、招魂社専任受持神官。昭和19年、護国神社社司。昭和21年宮司。 *田中光彦(1938-2018)<>:1938年生。国学院大学神道学科卒。1961年(昭和36年)靖国神社に奉職。1964年(昭和39年)靖国神社主典補。宮城県護国神社の権宮司を経て宮司。2018年(平成30年)11月27日死去。80歳。神社本庁長老(追贈)。 *田中於莵彦(1943-)<2019->:1943年(昭和18年)生。東北学院大学経済学部卒。国学院大学専攻科修了。1981年(昭和56年)権禰宜。1990年(平成2年)禰宜。1992年(平成4年)権宮司。2019年(令和1年)1月25日、宮司。青葉城資料展示館館長。 [[category:宮城県]]
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