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家原寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
家原寺
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'''家原寺'''(えばらじ)は、大阪府堺市西区にある[[行基]]生誕地にある[[真言宗]]寺院。本尊は文殊菩薩。[[行基建立四十九院]]の一つ。現在は[[高野山真言宗]]。中世は[[真言律宗西大寺流]]に属し、[[戒壇]]が置かれていた。'''神崎院'''、'''善光寺'''、'''清凉院'''とも。山号は一乗山。(参考:同名寺院[[家原寺_(同名)]]、[[誕生寺]]) ==歴史== ===古代=== 『行基年譜』によると、慶雲元年(704)、行基が生家を寺院にしたのが始まりだという。 初期の伽藍の様子は明らかでない。 平安時代末期、仁範が復興(『粉河寺縁起』)。 ===鎌倉時代=== 鎌倉時代になると、1245年、[[西大寺]][[叡尊]]が住職となり、諸堂を復興(『興正菩薩行実年譜』)。 同年9月には[[唐招提寺]][[覚盛]]と共に別授戒を行った。[[真言律宗]]宗祖となる叡尊にとって最初の別授戒だった。 1316年、住職の行覚が『行基菩薩行状絵伝』を作成。同図から中世の境内の状況が分かる。 1479年には『行基菩薩縁起図絵詞』が作られた。 ===室町時代=== 室町時代には和泉の[[安国寺]]になったとみられている。はっきりとした史料は残っていないが、1445年の東寺文書に「大鳥郡家原の安国寺」とある。 1382年、兵火で焼失。1574年に再建。 ===江戸時代=== 江戸時代後期、田安家から寺領寄進。 ===近現代=== 1966年、高野山真言宗別格本山となる。戦後は学問成就、合格祈願の寺として喧伝される。 (日本歴史地名大系、国史大辞典) == 伽藍 == *本堂:文殊堂とも。 *開山堂:[[行基]]、[[空海]]、[[叡尊]]を祀る。 *行基誕生塚:御影堂がある。 *経堂: *鐘楼: *薬師堂: *地蔵堂: *不動堂: *ぼけ除け観音像: *納骨堂: *弁天堂: *三重塔: *大護摩壇: *放生池: *仁王門:大門とも。寺内で現存最古の建造物。 *中院: *中室院:子院 *[[塩穴寺]]:隣接 [[category:大阪府]]
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