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専修寺智恵光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[ファイル:専修寺・子院など-09.jpg|thumb|500px|]] '''専修寺智恵光院'''は、三重県津市にある[[浄土真宗]]寺院。[[真宗高田派]]。[[専修寺]]の子院。[[玉保院]]・[[慈智院]]と共に三ケ院の一つ。西院。宝寿院、智光院とも。8世真淳が学僧として活躍し学頭とされ連枝格となる。 1465年(寛正6年)龍珠軒真祐が真慧に随従して伊勢に来て創建。 円猷から智恵光院の号を授かったという。 ==組織== ===歴代住職=== 声明智恵光院流の歴代が歴代住職だと思われる[https://dl.ndl.go.jp/pid/4416250/1/23]。 *1真祐(?-1569)<>:1569年(永禄12年)11月24日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/4416247/1/34][https://dl.ndl.go.jp/pid/4416247/1/38]。龍珠軒と号す。 *2真教()<>: *3真唱()<>: *4真常()<>: *5真純()<>: *6真〓()<>:(〓は「王頁」) *7真証(1707-1762)<>:1707年(宝永4年)生。公報ともいう。西園寺致季の猶子。如来堂造営の中心的な役割を果たした。専修寺18世円遵の師範となる。法印権大僧都。1762年(宝暦12年)9月14日死去。56歳。一仏乗院と号す。 *8真淳(1736-1807)<1758->:真証の長男。1736年(元文1年)生。1747年(延享4年)得度。京都で学ぶ。1758年(宝暦8年)智恵光院住職。1762年(宝暦12年)から専修寺で講義。1796年(寛政8年)2月29日専修寺学頭。1797年(寛政9年)3月10日、権僧正。『日本仏家人名辞書』に「妙法院宮の令旨を蒙り、その支院光明王院の兼住となる」とあり、[[天台宗]][[妙法院門跡]]の准院室[[光明王院]]を兼帯したようだ。妻帯せず。1807年(文化4年)5月29日死去。金光明院と号す。著書多数。 *9真妙()<>: *10真満()<>: *11円崇(1819-1883)<>:円禎の弟。1819年(文政2年)生。幼名は棟若。1832年(天保3年)得度。無量幢院と号す。1883年(明治16年)2月20日死去。65歳。[https://dl.ndl.go.jp/pid/4416211/1/30] *12真巍()<>: *13真〓()<>:(〓は「山龍」) *14真梁()<>: ==資料== *『智恵光院法脈相承記』 [[Category:三重県]]
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