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小御門神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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小御門神社本殿

小御門神社(こみかど・じんじゃ)は、千葉県成田市名古屋(下総国香取郡)にある花山院師賢を祀る霊社別格官幣社神社本庁別表神社。境内に花山院師賢墓がある。南朝関連旧跡

目次

歴史

花山院師賢の墓
  • 1332年5月:花山院師賢、下総国に配流。
  • 1332年10月:花山院師賢、死去。32歳。
  • 1333年頃:太政大臣追贈。文貞公。
  • 1722年頃:佐倉藩の磯辺昌言、『佐倉風土記』を記しこの塚を花山院師賢墓とする。
  • 1723年:稲葉家、佐倉藩から淀藩に転封になるが、墓所のある名小屋村は幕末まで稲葉領(淀藩領)のままとなる。
  • 1777年2月:淀藩主稲葉正弘、墓碑を修理。
  • 1848年1月:清宮秀堅、「下総国輿地全図」に墓を図示
  • 1854年9月:水戸藩主徳川斉昭稲葉家に墳墓の調査依頼
  • 1855年9月:清宮秀堅ら、水戸藩士藤田東湖に依頼し、徳川斉昭の揮毫を得て碑を建てようとするが、安政地震で東湖死去で頓挫。
  • 1856年9月:伊能穎則、『文貞公事蹟考』を記す[1]
  • 1861年:清宮秀堅、『文貞公墳墓考』を記す[2]
  • 1867年:淀藩主稲葉正邦、「贈太政大臣藤原文貞公墓」碑を建てる。地元の沢田総右衛門が尽力。沢田総右衛門は農民だったが窮民救済に功績があり、苗字帯刀許可を受け、国学を学ぶ。
  • 1869年:地元有志、墓所に鳥居
  • 1874年10月4日:新治県の許可を得て墓前祭典。祭主は権大教正稲葉正邦。権少教正香取保礼、権少教正鹿島則文ら100人以上が奉仕した。祝詞[3]
  • 1877年5月13日:沢田総右衛門ら、創建請願[4]
  • 1878年3月18日:大久保利通、千葉県に命じて記念碑建立。1880年8月竣工[5][6][7][8][9]
  • 1879年1月28日:創建許可。小御門神社と命名
  • 1880年1月:起工
  • 1880年6月:300円下賜
  • 1880年11月8日:大蔵卿佐野常民参拝
  • 1880年12月:稲葉正邦、祭田を献じる。祝詞[10]
  • 1881年4月:地鎮祭。5月石碑建立?
  • 1881年6月29日:明治天皇千葉県巡幸に際して勅使として侍従高辻修長が参向。幣帛
  • 1881年9月2日:立柱
  • 1882年1月4日:神璽として御剣寄附の御沙汰
  • 1882年2月:有栖川宮などから祭祀料
  • 1882年4月29日:鎮座。勅使として千葉県令船越衛参向。宮司に沢田総右衛門。
  • 1882年5月:記念碑建立[11]
  • 1882年6月:勅使として侍従堀川康隆が参向。幣帛料。
  • 1882年6月29日:別格官幣社列格。
  • 1882年10月5日:別格官幣社奉告祭。勅使として千葉県令船越衛参向。
  • 1883年1月13日:例祭日を4月29日とする
  • 1883年11月:宮司沢田総右衛門、正二位花山院師賢に正一位贈位の請願。実現せず。[12]
  • 1884年6月:中門と祝詞舎が竣工
  • 1885年7月:青山忠誠(旧篠山藩主家。祭神の末裔)、神田寄進
  • 1887年3月:石垣、透垣、敷石、鳥居など整備。4月幣殿竣工
  • 1887年3月18日:贈位を再び請願。[13]
  • 1900年3月31日:十二代神社を摂社とする
  • 1900年7月:仮殿建立。のち神輿殿として用いる。
  • 1900年9月16日:本殿屋根修復が完成し、仮殿より正遷座祭。
  • 1908年:拝殿など改修
  • 1911年5月22日:皇太子(大正天皇)千葉県行啓。甘露寺受長が代拝。幣帛料供進。
  • 1915年:滑河駅から神社までの道路を整備

境内

  • 本社
  • 花山院師賢墓:公家塚
  • 十二代神社:正室を祀る。正室は花山院家貞の次女。神社の東600mの畑の中に正室の墓という比丘尼塚があり、神社を立てた。老松があった。現存不詳。
  • 居館跡

画像

建武中興十五社
社号 祭神
吉野神宮 後醍醐天皇
鎌倉宮 護良親王
井伊谷宮 宗良親王
八代宮 懐良親王
(配)良成親王
金崎宮 尊良親王
恒良親王
小御門神社 花山院師賢
菊池神社 菊池武時
菊池武重
菊池武光
(配)菊池武政他
湊川神社 楠木正成
(配)楠木正行他
名和神社 名和長年
(配)名和長重他
阿部野神社 北畠親房
北畠顕家
藤島神社 新田義貞
(配)新田義宗他
結城神社 結城宗広
(配)結城親光他
霊山神社 北畠親房
北畠顕家
北畠顕信
北畠守親
四條畷神社 楠木正行
(配)楠木正時他
北畠神社 北畠顕能
(配)北畠親房
(配)北畠顕家

組織

宮司

  • 1沢田総右衛門(1838-)<1882-1908>:1838年(天保9年)生。墓所のある名小屋村(淀藩領)の名主。農民身分だったが、窮民救済に功績を上げ、苗字帯刀を許可される。本居宣長、平田篤胤の諸書を読む。淀藩による墓碑建立を担当した。明治初年、教導職となり、明治7年、旧藩主の権大教正稲葉正邦を招いて墓前で大祭典を斎行する。私財を投じて小御門神社の創建に奔走する。1882年(明治15年)7月25日、小御門神社宮司。1887年(明治20年)4月8日、制度改正で改めて小御門神社宮司。皇典講究所委員。千葉皇典講究分所監督。1908年(明治41年)4月9日退任。(叙位裁可書)
  • 2沢田総重(1874-1949)<1908-1934>:沢田総右衛門の孫。1874年(明治7年)生。1908年(明治41年)4月9日小御門神社宮司。1934年(昭和9年)11月7日香取神宮宮司。沢田総重郎。(略歴は香取神宮#組織を参照)
  • 篠原四郎(1898-?)<>:小御門神社宮司、生島足島神社宮司、北京神社宮司、大洗磯前神社宮司、酒列磯前神社宮司、熊野那智大社宮司を歴任。
  • 三井孝助()<1939->:御嶽教大阪教区庁講師、秩父神社禰宜を経て1939年(昭和14年)5月11日、小御門神社宮司。東京府祭務官を経て1943年(昭和18年)12月、気多神社宮司。(略歴は気多大社#組織を参照)
  • 遠北英雄(1903-2007)<1941-1943>:1941年(昭和16年)小御門神社宮司。1943年(昭和18年)井伊谷宮宮司。(略歴は井伊谷宮#組織を参照)
  • 河崎勝正()<>:穂高神社宮司。千葉県護国神社宮司。
  • 矢田部盛枝(1894-1961)<1945-1946>:(略歴は三島大社#組織を参照)


資料

  • 『別格官幣社小御門神社誌』[14]
  • 沢田総右衛門1881『小御門神社御由来記』[15]
  • 1881『小御門神社献詠集』[16]
  • 1936『小御門叢書1文貞公歌集』[17]
  • 1936『小御門叢書2文貞公芳翰集』[18]
  • 1936『小御門叢書3文貞公真蹟並に詳伝』[19]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B0%8F%E5%BE%A1%E9%96%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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