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山城・光明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山城・光明寺
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熊谷直実が1198年(建久9年)に法然の勧めによって粟生広谷に念仏三昧院を創建。 熊谷直実は法然を一世として自らは二世とした 嘉禄の法難の際に、法然の遺骸が当地に遷された。このとき、法然の石棺から光明が放たれて、粟生の地を指したという。これに由来して、1242年(仁治3年)四条天皇から「光明寺」の勅額をもらったという 1563年(永禄6年)、正親町天皇から「浄土門根元之地」の綸旨をもらった 御影堂本尊の「張子の御影」は建永の法難のときに、弟子に与えた自画像で、母親からの手紙に描いたものという。 3世幸阿弥陀仏のあとに、証空がはいり4世となる
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