ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

山城・円明寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年9月1日 (土)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の1版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''円明寺'''(えんみょうじ)は、京都府乙訓郡大山崎町にある[[真言宗]]寺院。[[東寺真言宗]]。'''円明教寺'''。(参考:同名寺院[[円明寺]])
+
'''円明寺'''(えんみょうじ)は、京都府乙訓郡大山崎町円明寺(山城国乙訓郡)にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[薬師如来]]。[[東寺真言宗]]。'''円明教寺'''。山号は医王山。(参考:同名寺院[[円明寺]])
 +
 
 +
== 歴史 ==
 +
創建不詳。1062年(康平5年)の「僧忠覚譲状案」という古文書に「円明寺住僧」とあるのが所見。1230年(寛喜2年)、藤原定家が西園寺公経と共に参詣。ついで寛済が西園寺公経に譲渡。さらに九条道家、一条実経と継承された。一条実経(1223-1284)(一条家始祖)は円明寺に隠棲して円明寺殿と呼ばれた。1284年(弘安7年)、[[西大寺]][[叡尊]]が訪れ、実経に授戒。兵火で焼失し応仁の乱で衰退が決定的となる。江戸時代初期には薬師堂と呼ばれていた。江戸時代末には[[随心院]]末だった。(日本歴史地名大系)
[[Category:京都府]]
[[Category:京都府]]

2018年9月1日 (土) 時点における最新版

円明寺(えんみょうじ)は、京都府乙訓郡大山崎町円明寺(山城国乙訓郡)にある真言宗寺院。本尊は薬師如来東寺真言宗円明教寺。山号は医王山。(参考:同名寺院円明寺

歴史

創建不詳。1062年(康平5年)の「僧忠覚譲状案」という古文書に「円明寺住僧」とあるのが所見。1230年(寛喜2年)、藤原定家が西園寺公経と共に参詣。ついで寛済が西園寺公経に譲渡。さらに九条道家、一条実経と継承された。一条実経(1223-1284)(一条家始祖)は円明寺に隠棲して円明寺殿と呼ばれた。1284年(弘安7年)、西大寺叡尊が訪れ、実経に授戒。兵火で焼失し応仁の乱で衰退が決定的となる。江戸時代初期には薬師堂と呼ばれていた。江戸時代末には随心院末だった。(日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E3%83%BB%E5%86%86%E6%98%8E%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール