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山城・大雲寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:Kokudo0228.jpg|thumb|300px|実相院門跡周辺(国土地理院空中写真より)]] '''大雲寺'''(だいうんじ)は、京都府京都市左京区岩倉にある[[天台宗]]寺院。本尊は[[十一面観音菩薩]]。[[比叡山]]西麓の岩倉周辺は[[天台宗寺門派]]の初期の拠点で、[[岩倉・普門寺]]、[[解脱寺]]、[[京都・一乗寺]]、[[修学院]]などがあった。後に寺内に移転してきた[[実相院門跡]]の末寺になる。現在は単立。通称は'''岩倉観音'''。山号は紫雲山。鎮守は[[石座神社]]。(参考:同名寺院[[大雲寺]]) == 歴史 == 971年(天禄2年)、日野文範が真覚を開山として創建。980年(天元3年)1月24日、円融天皇の御願寺となる。 993年(正暦4年)の円仁派と円珍派の対立事件で、山を下った余慶ら1000人が拠点とした。 講堂・五大堂・灌頂堂・法華堂・阿弥陀堂・真言堂の諸堂が建てられ、栄えた。余慶は大雲寺で没。 985年(寛和1年)、昌子内親王は観音院を建てた。昌子内親王は境内に葬られた(岩倉陵)。 文慶が初代別当となる。住職の成尋は、1072年(延久4年)に入宋している。 雄大な伽藍も山門との抗争で滅びていく。1121年(保安2年)に延暦寺衆徒に焼討。1136年(保延2年)にも焼失している。天文年間の兵火などで焼失。加えて信長の比叡山焼討で壊滅した。一方、南北朝時代頃から実相院門跡の末寺となる(諸門跡伝)。応仁の乱で五辻通小川にあった門跡御殿が焼失したため、実相院門跡は大雲寺内の成金剛院に移る。1633年(寛永10年)実相院門跡の義尊が後水尾天皇・東福門院の支援で実相院と共に復興。その兼務となった。 大雲寺の加持祈祷で精神疾患者の治療が行われていたがその延長で、明治8年、京都癲狂院が建てられ、日本初の公立精神病院となった。 (国史大辞典、日本大百科全書、日本歴史地名大系ほか) [[category:京都府]]
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