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山城・宝積寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山城・宝積寺
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'''宝積寺'''(ほうしゃくじ)は、京都府乙訓郡大山崎町大山崎の天王山にある[[真言宗]]寺院。本尊は[[十一面観音]]。[[行基]]の創建。[[離宮八幡宮]]の神宮寺の一つだった。[[真言宗智山派]]。通称は'''宝寺'''('''財寺''')。'''宝山寺'''とも呼ばれた。山号は天王山、補陀洛山、銭原山。(参考:同名寺院[[宝積寺]]) == 歴史 == 神亀年間に行基が創建。近くに[[行基建立四十九院]]の一つ[[山崎院]]跡があり、その後身とする説もある。『続本朝往生伝』によると寂照(大江定基)が1003年(長保5年)の入宋の直前に宝積寺で法華八講を修した。 1202年(建仁2年)と1206年(建永1年)に藤原定家が参詣。1232年(貞永1年)に火災で焼失。すぐに再建され、現在の本尊もこの時の造立とみられている。1579年(天正7年)、[[織田信長]]が滞在。1582年(天正10年)には[[豊臣秀吉]]が寺の近くに城を築き、宝寺城と呼ばれた。江戸時代には無量寿院・大仙院・自性院・多聞院・松元坊・覚昇坊があった。[[西観音寺]]と交代で離宮八幡宮に奉仕した。1864年(元治1年)の禁門の変で負け、天王山で自刃した志士の墓が三重塔の前に設けられたが、参詣者が絶えなかったため、幕府方は藪の中に移した(のち[[酒解神社]]参道に改葬し[[天王山官修墳墓]]となる)。墓の跡地にはのち「殉国十七士墓」碑が建てられた。(日本歴史地名大系) == 伽藍 == *本堂:十一面観音を祀る。 *閻魔堂:神仏分離で廃絶した西観音寺閻魔堂の[[閻魔]]像を祀る。泰山王、五道転輪王も。 *三重塔:豊臣秀吉が一夜で建立したと伝える。 *不動堂:[[不動明王]]を祀る。 *小槌宮:[[大黒天]]を祀る。 *仁王門:金剛力士を祀る。 *聖武天皇塔:九重石塔。 *殉国十七士墓:[[天王山官修墳墓]]の旧地 *十九社明神: [[category:京都府]]
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