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山城国分寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月24日 (火)

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'''山城国分寺'''(やましろ・こくぶんじ)は、山城国相楽郡(京都府木津川市加茂町)の[[恭仁京]]大極殿跡にあった[[国分寺]]
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'''山城国分寺'''(やましろ・こくぶんじ)は、京都府木津川市加茂町例幣中切(山城国相楽郡)にあった[[古代寺院]]。[[諸国国分寺]]の一つ。
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[[恭仁京]][[恭仁宮]]の[[大極殿]]がそのまま伽藍に転用されたという。
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放棄された恭仁宮大極殿([[平城宮]]大極殿を移築)を金堂として国分寺とされた。塔跡の基壇と礎石が確認されている。跡地に'''薬師堂'''が残る。またかつて竹田に国分寺という名前の寺院があったらしい。
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また南西1kmの木津川対岸に、地名に基づき、[[山城国分尼寺]]があったとも考えられている。
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放棄された恭仁京大極殿([[平城京]]大極殿を移築)を金堂として国分寺とされた。塔跡の基壇と礎石が確認されている。[[山城国分尼寺]]も地名から対岸にあったと考えられている。跡地に'''薬師堂'''が残る。またかつて竹田に国分寺という名前の寺院があったらしい。
 
[[Category:京都府]]
[[Category:京都府]]

2023年10月24日 (火) 時点における最新版

山城国分寺(やましろ・こくぶんじ)は、京都府木津川市加茂町例幣中切(山城国相楽郡)にあった古代寺院諸国国分寺の一つ。 恭仁京恭仁宮大極殿がそのまま伽藍に転用されたという。

放棄された恭仁宮大極殿(平城宮大極殿を移築)を金堂として国分寺とされた。塔跡の基壇と礎石が確認されている。跡地に薬師堂が残る。またかつて竹田に国分寺という名前の寺院があったらしい。 また南西1kmの木津川対岸に、地名に基づき、山城国分尼寺があったとも考えられている。

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