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山崎闇斎旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山崎闇斎旧跡
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'''山崎闇斎'''(やまざき・あんさい)(1618-1682)は、江戸時代の儒学者・神道家。[[垂加神道]]の開祖。元は[[臨済宗]]の僧侶だった。 == 墓廟== *[[山崎闇斎墓]]:[[金戒光明寺]]内。 *[[垂加霊社]]:[[下御霊神社]]内。 *[[闇斎神社]]: ==年譜== ===生涯=== *1618年12月9日:1歳:[[京都]]で生まれる。父浄因は足守藩主木下家定の家臣だったが、辞して京都で鍼医を開く。 *1623年頃:6歳頃:[[延暦寺]]に稚児として仕える。 *1629年:12歳:自宅に戻ったか。 *1632年:15歳:[[妙心寺大通院]]で出家。記憶力が良く絶蔵主(図書館は要らないという意味か?)と号す。 *1636年:19歳:土佐の[[吸江寺]]に移る。大通院と吸江寺を兼務していた湘南宗化の周旋とみられる。[[野中兼山]]、小倉三省、[[谷時中]]に学ぶ。特に野中兼山の影響を受けたという。 *1642年:25歳:三教一致論を捨て儒学に立ち、仏教を批判。京都に戻る。一説には藩主からの反感を買って逃れたという。還俗もこの頃とみられる。 *1646年:29歳:父の命で本氏に復す。闇斎と号す。 *1647年春:30歳:[[朱子]]の著書から仏教批判の部分だけを要約した『闢異』を編纂。 *1650年:33歳:先祖の神主(位牌)を作り、『家礼』に基づく祭祀を始める。 *1653年:36歳:[[下鴨神社]]鴨脚秀政の娘と結婚。 *1655年:38歳:講席を開く。 *1657年1月:40歳:『倭鑑』編纂に先立ち、日本書紀を編纂した[[舎人親王]]を敬慕し、奉斎する[[藤森神社]]に参拝して漢詩を作る。この頃から神道への関心が強まる。翌月、[[伊勢神宮]]参拝。3月八幡宮([[石清水八幡宮]]?)参拝。 *1658年2月:41歳:初めて[[江戸]]に遊学。笠間藩主井上正利・大洲藩主加藤泰義の知遇を得る。8月京都に帰る。名が知られるようになり、以後、毎年江戸に出る。 *1661年:44歳:江戸に向かう途中、[[多賀大社]]に参拝。 *1663年:祖先の墓を黒谷([[金戒光明寺]])に改葬。 *1665年:48歳:江戸で会津藩主[[保科正之]]に謁す。同年、[[吉川惟足]]に神道を学ぶ。 *1669年:52歳:伊勢神宮を参拝し大宮司川辺精長から[[伊勢神道]]を学び、中臣祓の伝授を受ける。 *1671年2月21日:54歳:母死去。 *1671年11月22日:54歳:江戸で吉川惟足から伝授を受け、垂加霊社の号を授かる。帰京後まもなく自邸に自分の魂を祀る[[垂加霊社]]を奉斎する。以後、独自の神道説を唱えるようになる。 *1672年8月:55歳:[[会津]]を訪問。11月帰京。 *1672年11月:55歳:会津藩が編纂した『会津神社志』に序を寄せる。 *1672年12月18日:55歳:保科正之が江戸藩邸で死去。 *1673年1月26日:56歳:会津に赴き、保科正之の葬儀に参列。6月帰京。東遊はこれが最後で以後は京都で執筆に専念する。 *1674年2月22日:57歳:垂加霊社を[[下御霊神社]]内に遷座。天和年間に猿田彦社に合祀。 *1674年10月21日:57歳:父死去。 *1682年9月16日:65歳:死去。『家礼』に則り、遺体は密かに儒教式で埋葬された。表向きの葬儀は空の柩を用意して僧侶により行われた。 ===死後=== *1762年:留守希斎ら全国門人250人が黒谷金戒光明寺の墓所を整備。 *1781年:安芸国の[[礒宮八幡神社]]神職の唐崎士愛が境内天満宮に垂加霊社を祭り100年祭を営む。 *1882年:200年祭? *1907年10月22日:贈正四位。位記は下御霊神社に下付された。11月23日:贈位奉告祭。 *1908年4月:墓所を整備。 *1909年12月8日:「闇斎山崎先生祠堂碑」建立奉告祭。 *1932年10月15日:贈従三位。 *1932年10月23日:東京帝国大学大講堂で250年祭。 *1940年:祖父の故郷に[[闇斎神社]]創建。 *1982年:300年祭。 *『山崎闇斎先生』[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941406/17] * 佐伯有義「山崎闇齋年譜」 *『国史大辞典』 ほか ==著書== *『中臣祓風水草』:垂加神道の根本経典 *『神代巻風葉集』:垂加神道の根本経典。ただし首巻を除いて草稿のまま未完成のまま死去。その後、門人がそれぞれに校訂した。若林強斎版、玉木正英版などがある。 *『文会筆録』:朱子学をまとめた大著。死去翌年刊行。20巻。 [[Category:人物旧跡]]
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