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山崎闇斎旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年6月15日 (月)

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山崎闇斎(やまざき・あんさい)(1618-1682)は、江戸時代の儒学者・神道家。垂加神道の開祖。元は臨済宗の僧侶だった。

目次

墓廟

年譜

生涯

  • 1618年12月9日:1歳:京都で生まれる。父浄因は足守藩主木下家定の家臣だったが、辞して京都で鍼医を開く。
  • 1623年頃:6歳頃:延暦寺に稚児として仕える。
  • 1629年:12歳:自宅に戻ったか。
  • 1632年:15歳:妙心寺大通院で出家。記憶力が良く絶蔵主(図書館は要らないという意味か?)と号す。
  • 1636年:19歳:土佐の吸江寺に移る。大通院と吸江寺を兼務していた湘南宗化の周旋とみられる。野中兼山、小倉三省、谷時中に学ぶ。特に野中兼山の影響を受けたという。
  • 1642年:25歳:三教一致論を捨て儒学に立ち、仏教を批判。京都に戻る。一説には藩主からの反感を買って逃れたという。還俗もこの頃とみられる。
  • 1646年:29歳:父の命で本氏に復す。闇斎と号す。
  • 1647年春:30歳:朱子の著書から仏教批判の部分だけを要約した『闢異』を編纂。
  • 1650年:33歳:先祖の神主(位牌)を作り、『家礼』に基づく祭祀を始める。
  • 1653年:36歳:下鴨神社鴨脚秀政の娘と結婚。
  • 1655年:38歳:講席を開く。
  • 1657年1月:40歳:『倭鑑』編纂に先立ち、日本書紀を編纂した舎人親王を敬慕し、奉斎する藤森神社に参拝して漢詩を作る。この頃から神道への関心が強まる。翌月、伊勢神宮参拝。3月八幡宮(石清水八幡宮?)参拝。
  • 1658年2月:41歳:初めて江戸に遊学。笠間藩主井上正利・大洲藩主加藤泰義の知遇を得る。8月京都に帰る。名が知られるようになり、以後、毎年江戸に出る。
  • 1661年:44歳:江戸に向かう途中、多賀大社に参拝。
  • 1663年:祖先の墓を黒谷(金戒光明寺)に改葬。
  • 1665年:48歳:江戸で会津藩主保科正之に謁す。同年、吉川惟足に神道を学ぶ。
  • 1669年:52歳:伊勢神宮を参拝し大宮司川辺精長から伊勢神道を学び、中臣祓の伝授を受ける。
  • 1671年2月21日:54歳:母死去。
  • 1671年11月22日:54歳:江戸で吉川惟足から伝授を受け、垂加霊社の号を授かる。帰京後まもなく自邸に自分の魂を祀る垂加霊社を奉斎する。以後、独自の神道説を唱えるようになる。
  • 1672年8月:55歳:会津を訪問。11月帰京。
  • 1672年11月:55歳:会津藩が編纂した『会津神社志』に序を寄せる。
  • 1672年12月18日:55歳:保科正之が江戸藩邸で死去。
  • 1673年1月26日:56歳:会津に赴き、保科正之の葬儀に参列。6月帰京。東遊はこれが最後で以後は京都で執筆に専念する。
  • 1674年2月22日:57歳:垂加霊社を下御霊神社内に遷座。天和年間に猿田彦社に合祀。
  • 1674年10月21日:57歳:父死去。
  • 1682年9月16日:65歳:死去。『家礼』に則り、遺体は密かに儒教式で埋葬された。表向きの葬儀は空の柩を用意して僧侶により行われた。

死後

  • 1762年:留守希斎ら全国門人250人が黒谷金戒光明寺の墓所を整備。
  • 1781年:安芸国の礒宮八幡神社神職の唐崎士愛が境内天満宮に垂加霊社を祭り100年祭を営む。
  • 1882年:200年祭?
  • 1907年10月22日:贈正四位。位記は下御霊神社に下付された。11月23日:贈位奉告祭。
  • 1908年4月:墓所を整備。
  • 1909年12月8日:「闇斎山崎先生祠堂碑」建立奉告祭。
  • 1932年10月15日:贈従三位。
  • 1932年10月23日:東京帝国大学大講堂で250年祭。
  • 1940年:祖父の故郷に闇斎神社創建。
  • 1982年:300年祭。
  • 『山崎闇斎先生』[1]
  • 佐伯有義「山崎闇齋年譜」
  • 『国史大辞典』

ほか

著書

  • 『中臣祓風水草』:垂加神道の根本経典
  • 『神代巻風葉集』:垂加神道の根本経典。ただし首巻を除いて草稿のまま未完成のまま死去。その後、門人がそれぞれに校訂した。若林強斎版、玉木正英版などがある。
  • 『文会筆録』:朱子学をまとめた大著。死去翌年刊行。20巻。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E9%97%87%E6%96%8E%E6%97%A7%E8%B7%A1」より作成

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