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山川招魂社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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==資料==
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*「招魂社歳出定額表」[https://dl.ndl.go.jp/pid/788730/1/41]
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*「招魂社及墳墓費取扱規程」:1890年(明治23年)6月5日。福岡県訓令第705号。『福岡県令達類纂』[https://dl.ndl.go.jp/pid/788730/1/39]。1909年(明治42年)改正『現行福岡縣令規全集』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3464020/1/267]。
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*『久留米市誌』「招魂祭」[https://dl.ndl.go.jp/pid/1209612/1/361]
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*『久留米市誌続』[https://dl.ndl.go.jp/pid/3030848/1/292]
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*『福岡県神社誌』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1040147/1/182]
[[Category:福岡県]]
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2023年1月25日 (水) 時点における版

山川招魂社04.jpg

山川招魂社は、福岡県久留米市山川町茶臼山にある官祭招魂社高良大社山麓にある。山川官修墳墓とともにある。山川護国神社。指定外護国神社。

  • 1869年(明治2年)1月29日:久留米藩主有馬頼咸、招魂所の開設を命じる。
  • 1869年(明治2年)2月1日:造営開始。
  • 1869年(明治2年)2月29日:招魂所(現在の山川官修墳墓か)、造営がなり、最初の招魂祭を執行。真木保臣ら殉難志士40柱を祀る。2柱は墳墓なし。
  • 1873年(明治6年)8月:三潴県大参事水原久雄、高山彦九郎を祀る御楯神社を創建。『靖国神社誌』には1873年(明治6年)8月創建とある。


祭神

  • 勤王殉国の士:40柱
  • 佐賀の乱戦死者:67柱
  • 西南戦争戦死者:191柱
  • その他西南戦争以降の三井郡・三潴郡・久留米市・八女郡・浮羽郡(旧久留米領内)出身の戦没英霊

1938年(昭和13年)合祀の祭神名簿によるという。官祭の祭神のほかに「私祭人名簿」があったが神社明細帳には略されているので総数は確定できていないという。境内由緒書。祭神名簿一部[1]

資料

  • 「招魂社及墳墓費取扱規程」:1890年(明治23年)6月5日。福岡県訓令第705号。『福岡県令達類纂』[2]。1909年(明治42年)改正『現行福岡縣令規全集』[3]
  • 『久留米市誌』「招魂祭」[4]
  • 『久留米市誌続』[5]
  • 『福岡県神社誌』[6]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE」より作成

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