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山川招魂社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年6月19日 (水)
山川招魂社は、福岡県久留米市山川町茶臼山にある官祭招魂社。高良大社山麓にある。山川官修墳墓と久留米陸軍墓地が併設されていたが、陸軍墓地は移転。御楯神社。茶臼山招魂社。籏崎招魂社。山川護国神社。南筑頌徳神社。指定外護国神社。
歴史
- 1869年(明治2年)1月29日:久留米藩主有馬頼咸、招魂所の開設を命じる。
- 1869年(明治2年)2月1日:造営開始。
- 1869年(明治2年)2月29日:招魂所(現在の山川官修墳墓か)、造営がなり、最初の招魂祭を執行。真木保臣ら殉難志士40柱を祀る。2柱は墳墓なし。
- 1873年(明治6年)8月:三潴県大参事水原久雄、殉難志士と高山彦九郎を祀る御楯神社を創建。社殿を持つ招魂社としてはこの時が始まりとみられる。『靖国神社誌』にも1873年(明治6年)8月創建とある。
- 1874年(明治7年):佐賀の乱。久留米陸軍墓地開設か。
- 1875年(明治8年)4月26日:国庫供進
- 1875年(明治8年)9月:「高山仲縄祠堂記」碑建立
- 1892年(明治25年)7月27日:高山彦九郎100年祭[1]
- 1901年(明治34年)6月:官祭招魂社
- 1939年(昭和14年)4月1日:山川護国神社と改称。
- 1939年(昭和14年)7月:久留米陸軍墓地、野中町に移転。
- 1941年(昭和16年):福岡県、「官修墳墓監守者設置并に給料支給規程」を制定(訓令23号)[2]。
- 1947年(昭和22年)9月26日:南筑頌徳神社と改称。
- 1948年(昭和23年)12月28日:福岡県、「官修墳墓監守者設置并に給料支給規程」を廃止[3]。
- 1959年(昭和34年):山川招魂社に改称(福岡県の戦争遺跡)。
祭神
- 勤王殉国の士:40柱
- 佐賀の乱戦死者:67柱
- 西南戦争戦死者:191柱
- その他西南戦争以降の三井郡・三潴郡・久留米市・八女郡・浮羽郡(旧久留米領内)出身の戦没英霊
1938年(昭和13年)合祀の祭神名簿によるという。官祭の祭神のほかに「私祭人名簿」があったが神社明細帳には略されているので総数は確定できていないという。境内由緒書。祭神名簿一部[4]。