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布哇大神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2013年1月27日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
布哇大神宮(ハワイ大神宮) はわい だいじんぐう | |
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概要 | ハワイにある伊勢神宮の分社。 |
奉斎 | |
所在地 | ハワイ州オアフ島ホノルル市ブイワロード61 |
所属(現在) | |
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目次 |
概要
ハワイにある伊勢神宮の分社。元・神道本局所属の布哇大神宮教団。元・神宮奉斎会布哇組合本部。
創始の年代ははっきりしないが、1903年(明治36年)から1906年(明治39年)ごろ[1]、高知出身の千屋まつえが創始し、その後、同じ高知出身の神道本局教師の川崎正郷が継承した。1909年(明治42年)、神宮奉斎会布哇組合本部を設置[2]。1918年(大正7年)、リリハに遷座[3]。1920年(大正9年)に神道本局所属の布哇大神宮教団を設立した[4]。のち昭和前期、ハワイで反日感情が高まったことへの対策として、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、カメハメハ大王(一世)を合祀した。日米戦争が開始されると、すぐさま接収され、神社は閉鎖され、宮司は拘留された[5]。1943年(昭和18年)にご神体は日本に遷座した。一方で、戦時中も極秘裏に神事が行われていた。
戦後、ヤング街に仮社殿が創建され、1957年(昭和32年)にプイワロードの現在地に遷座して復興した。また戦前に加藤神社に併設して布哇伊勢大神宮が創建されており、戦後、崇敬を集めていたが、1959年(昭和34年)ごろ、布哇大神宮に合祀して、当社復興の一助になった。
分社としては[6]、マウイ島に1910年(明治43年)11月1日、ラハイナ大神宮を創建した。また、オアフ島にワヒアワ大神宮があった。カワイ島に分社としてリフエ大神宮があった。同じくカワイ島に既に創建されていたラワイ大神宮[7]を分社とし、いずれも現存しない。
画像
参考文献
- 『昭和六-七年 日布時事布哇年鑑』
- 井上順孝 1981「異文化内状況と神社神道」、柳川啓一・森岡清美編『ハワイ日系人社会と日本宗教東京大学宗教学研究室[1]
- 井上順孝 1985『海を渡った日本宗教 移民社会の内と外』[2]
- 前田孝和 1999『ハワイの神社史』
脚注
- ↑ 「民族宗教の異文化体験 ハワイの神社神道」『海を渡った日本宗教 移民社会の内と外』による。諸書によって年代が異なるという。
- ↑ 『昭和六-七年 日布時事布哇年鑑』
- ↑ 『昭和六-七年 日布時事布哇年鑑』
- ↑ 「民族宗教の異文化体験 ハワイの神社神道」『海を渡った日本宗教 移民社会の内と外』
- ↑ 以下、井上順孝 1981「異文化内状況と神社神道」
- ↑ 以下、分社については前田孝和『ハワイの神社史』より
- ↑ ヒロ大神宮とともにハワイ最古の神社。1898年(明治31年)11月3日遷座(鎮座?)。