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常明寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月21日 (土)
常明寺(じょうみょうじ)は伊勢国度会郡(三重県伊勢市倭町)にあった天台宗寺院。度会氏(二門)の氏寺。倭姫命の陵墓の伝承地が隣接する。日蓮旧跡ともされる。伊勢神宮関連旧跡。廃絶。尾上寺。泉寺。
歴史
継体天皇代の創建。『倭姫命世記』によると、雄略天皇23年2月、尾上山峰に退いて、「石隠」したとあるが、この「尾上山峰」が常明寺のある小山で、境内の石窟が倭姫命の墳墓であると言われる。現在は宇治山田陵墓参考地に指定されている。
聖徳太子が再興したとされる。『神祇本源』所載の「尾上寺」や「泉寺」の後身という見解がある。また外宮禰宜の檜垣常明が再興したため、この名前がついたという説があるが、彼の時代以前からこの名前で存在していることが確認されているので否定されている。
日蓮が伊勢神宮に参拝した時、常明寺の井戸(誓願の井戸)で「三大誓願」を建てたという。
もと真言宗だったが寛永年間に天台宗に改宗。『毎事問』によれば、このあたりが昔刑場で墓地でもあったことを聞いた長官の檜垣常晨は後の世に再び刑場に使われないように1629年(寛永6年)の遷宮の際の古材の鳥居をここに建てたという。ところが、この鳥居を巡って事件が起きる。1675年(延宝3年)、常明寺が「両太神宮内院高日山太神宮寺」の扁額をこの鳥居に掲げた。神宮は、「仏寺にあるまじきこと」として山田奉行に訴えたところ、扁額を取り下げさせ、鳥居は朽ちるに任せた。しかし、常明寺では夜半に古木で修繕を加えて、明治維新まで存続させたという。
境内には神落萱社があり、現存している。正月8日には外宮神官が参向して祭典を行った。
常明寺は明治維新の神仏分離で廃絶。1882年(明治15年)、常明寺跡に伊勢・欣浄寺が復興されたがのち移転した。
伽藍
参考文献
- 『宇治山田市史』
- 『神宮典略』[1]