ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

平城京

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2020年1月10日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内, 検索

平城京(へいじょうきょう)は古代日本の首都が置かれた都城都市。奈良県奈良市。

目次

概要

和銅3年(710)3月から延暦3年(784)11月まで約70年間使われた。ただし、天平12年(740)12月から天平17年(745)5月までの約5年半の間は聖武天皇により恭仁京難波京に宮都が一時的に移っていた。また弘仁元年(810)9月6日、平城上皇平安京から平城京への遷都を図ったことがある。

『続日本紀』養老4年(720)8月壬午条によると、平城京には48寺があったというが、実数なのかは不明。官立の寺院である薬師寺大安寺が平城京の中心部に置かれ、中臣氏、蘇我氏の私寺として始まった興福寺元興寺は外京に置かれた。外京はこの2寺のために設置されたともいう。東大寺が外京に接するように創建され、西大寺が右京に置かれた。

有力氏族の氏寺が多く、興福寺や元興寺のほか、土師氏の菅原寺(喜光寺)、佐伯氏の佐伯院、紀氏の紀寺、大伴氏の永隆寺などがあり、穂積寺も穂積氏の氏寺と言われる。

『続日本紀』には隅寺(海龍王寺)、紀寺、葛木寺阿シュク寺が登場。『日本霊異記』には、殖槻寺下毛野寺穂積寺などが記載されている(富尼寺馬庭山寺は京外)。

一覧

宮中

その他、平安京と同じように宮中京中に様々な神々が祀られたと思われる。

左京

右京


外京


京外

不詳

年譜

沿革

研究・復元史

  • 1906年(明治39年):平城宮址保存会、設立。
  • 1910年(明治43年):平城遷都1200年祭。
  • 1913年(大正2年):奈良大極殿阯保存会、設立。
  • 1922年(大正11年):史蹟
  • 1952年(昭和27年):特別史跡。
  • 1959年(昭和34年):奈良国立文化財研究所、平城宮跡を発掘開始
  • 1978年(昭和53年):平城宮跡保存整備基本構想。
  • 1995年(平成7年):東院庭園、復元開始。
  • 1998年(平成10年):朱雀門、東院庭園を復元竣工。世界文化遺産「古都奈良の文化財」登録。
  • 2001年(平成13年):第一次大極殿、復元開始。
  • 2010年(平成22年):第一次大極殿、復元竣工。平城遷都1300年祭。

2018年(平成30年)3月:平城宮跡歴史公園竣工。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B9%B3%E5%9F%8E%E4%BA%AC」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール