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平松神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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平松神社は鹿児島県鹿児島市吉野町平松にある島津家ゆかりの霊社・招魂社。祭神は戦国武将で日置島津家の祖の島津歳久(1537-1592)と殉死者27柱。御霊信仰の要素もあるか。曹洞宗心岳寺跡。郷社。
歴史
1592年(文禄1年)島津歳久は、家臣が関わった梅北国兼の乱の責任を豊臣秀吉から問われ、16代当主島津義久の家臣に追われ、平松の地で自害した。その後、島津義久がこの地に菩提寺として心岳寺を創建。 明治の廃仏毀釈で1870年(明治3年)心岳寺が廃絶し、平松神社が建てられた。 島津歳久墓があり、殉死者石塔が今も残る。
また鹿児島県各地に「金吾様」として祀られた。 伊佐市大口大島の大島・平松神社、薩摩郡さつま町鶴田の梅君ケ城跡の鶴田・平松神社、薩摩郡さつま町中津川の薩摩・大石神社などがある。
薩摩郡さつま町求名の求名小学校校庭にあった金吾様は1945年(昭和20年)に稲富神社境内に遷座した。