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平田家
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2024年5月17日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
平田家は、平田篤胤を祖とする国学者の家。気吹舎。本教教会も参照。
歴代
- 1平田篤胤(1776-1843):
- 2平田鉄胤(1799-1880):篤胤の養子。伊予出身。初名は碧川篤実。神祇事務局判事。明治天皇侍講。教導職大教正。『祝詞正訓』『毀誉相半書』。平田銕胤。
- 3平田延胤(1828-1872):平田鉄胤の実子。1828年(文政11年)生。神祇権大祐。宣教判官。明治天皇侍講。父より早く死去。『馭戎論』。
- 4平田胤雄(?-1886):平田鉄胤の実子。1872年(明治5年)10月、牛島神社祠官。1874年(明治7年)2月28日、家督相続。妻の弟の原胤昭に平田家蔵書からキリスト教の書物を貸し出したことをきっかけで、原胤昭はキリスト教に改宗し、慈善活動として活躍する。1886年(明治19年)死去。
- 5平田盛胤(1863-1946):延胤の養子。美濃出身。1863年(文久3年)生。初名は戸沢盛定。1878年(明治11年)岐阜県師範学校卒。小学校校長、訓導を経て、1886年(明治19年)東京帝国大学文学部古典講習科卒。東京高等女学校教諭、東京府尋常師範学校教授などを歴任。1894年(明治27年)神田神社社司。1898年(明治31年)東京府神職管理所所長。1899年(明治32年)東京府皇典講究分所所長。1903年(明治36年)全国神職会顧問。1920年(大正9年)奏任官待遇。1933年(昭和8年)から1936年(昭和11年)まで東京府神職会会長。1942年(昭和17年)には真珠湾戦没者の国葬の斎主を務めた。1946年(昭和21年)死去。1945年(昭和20年)2月28日死去とも。