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平野・良明寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2015年11月27日 (金)

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[[融通念仏宗]]の[[河内六別時]](中本山)の一つで、「八尾別時」と呼ばれた。
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'''良明寺'''(りょうみょうじ)は、摂津国住吉郡平野郷(大阪府大阪市平野区)にあった融通念仏信仰の寺院。廃絶。[[融通念仏宗]]の[[河内六別時]](中本山)の一つ。'''八尾別時'''、'''八尾良明寺'''とも呼ばれるが、[[大念仏寺]]の近く、平野郷にあったらしい。なぜ「八尾」の名が付けられたかは不明だが、元来、信者の家を交代で念仏道場とする挽道場であったため、当初は八尾にあったのかもしれない。
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八尾良明寺とも呼ばれるが、[[大念仏寺]]の近く、平野郷にあったらしい。なぜ「八尾」の名が付けられたかは不明。
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融通念仏宗三祖の一人、大通は八尾良明寺の住職だったが、大念仏寺の住職を決める籤で選ばれ、就任した。
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嘉暦3年(1328)、[[法明]]が創建した。
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融通念佛宗教学研究所『法明上人 その生涯と信仰』平成10
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嘉暦3年(1328)、[[法明]]が創建したという。融通念仏宗三祖の一人、'''大通'''は八尾良明寺の住職だったが、大念仏寺の住職を決める籤で選ばれ、就任した。寛文2年(1625)に寺号を称し、同年から平野に定着したともいう。その後廃絶したらしいが、その本尊だったと伝わる「阿弥陀二尊像」(画像、南北朝時代)が大念仏寺に伝わっている。
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==参考文献==
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*融通念佛宗教学研究所、平成10『法明上人 その生涯と信仰』
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*大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』
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2015年11月27日 (金) 時点における最新版

良明寺(りょうみょうじ)は、摂津国住吉郡平野郷(大阪府大阪市平野区)にあった融通念仏信仰の寺院。廃絶。融通念仏宗河内六別時(中本山)の一つ。八尾別時八尾良明寺とも呼ばれるが、大念仏寺の近く、平野郷にあったらしい。なぜ「八尾」の名が付けられたかは不明だが、元来、信者の家を交代で念仏道場とする挽道場であったため、当初は八尾にあったのかもしれない。

嘉暦3年(1328)、法明が創建したという。融通念仏宗三祖の一人、大通は八尾良明寺の住職だったが、大念仏寺の住職を決める籤で選ばれ、就任した。寛文2年(1625)に寺号を称し、同年から平野に定着したともいう。その後廃絶したらしいが、その本尊だったと伝わる「阿弥陀二尊像」(画像、南北朝時代)が大念仏寺に伝わっている。

参考文献

  • 融通念佛宗教学研究所、平成10『法明上人 その生涯と信仰』
  • 大阪市立博物館編、平成3『融通念佛宗 その歴史と遺宝』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8E%E3%83%BB%E8%89%AF%E6%98%8E%E5%AF%BA」より作成

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