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広瀬神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月14日 (土)

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広瀬神社
ひろせ じんじゃ
Hirose-taisha (8).JPG
概要 河川の神。
奉斎 若宇迦売命
(土岐昌訓論文)
所在地 奈良県北葛城郡河合町川合1206
所在地(旧国郡) 大和国広瀬郡
所属(現在) 神社本庁
格式など 式内社名神大社正三位二十二社官幣大社別表神社
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広瀬神社(ひろせ・じんじゃ)は、奈良県北葛城郡河合町にある広瀬信仰の総本社。河川の神。若宇迦売命を祀る。龍田大社と対になる存在とみなされている。式内社名神大社正三位二十二社官幣大社別表神社。(参考:同名神社広瀬神社_(同名)


目次

歴史

境内

組織

宮司

  • 葵川信近(生没年不詳)<1874-1874>:丹生川上神社大宮司。1874年(明治7年)から同年まで広瀬神社大宮司。『北郷談』で日本に初めてダーウィンの進化論を紹介したという。
  • 江藤正澄(1836-1911)<1874-1877>:国学者。考古学者。秋月藩士上野正程の次男。1836年(天保7年)生。1862年(文久2年)江藤家養子となる。宮永保親に国学を、坂田九郎右衛門に有職故実を学ぶ。1868年(明治1年)藩政改革を進言。1870年(明治3年)10月18日、神祇官権少史心得。1871年(明治4年)8月10日、神祇官権少史。1872年(明治5年)3月24日、神祇官権中録・式部権中属。1873年(明治6年)3月14日、太宰府神社大宮司兼教導職大講義。同年7月8日、丹生川上神社少宮司。1874年(明治7年)1月31日、出雲神社宮司。1874年(明治7年)2月18日、丹生川上神社大宮司。3月31日、奈良県神道取締。同年4月23日、広瀬神社大宮司。当時、丹生川上神社は現在の下社だったが、現在の上社こそが本当の丹生川上神社だと主張して同年7月に進言し10月に採用され、丹生川上神社は奥宮と口宮の2社構成となった。1875年(明治8年)6月10日、奈良県内神道教導取締。8月20日、奈良県下神道事務分局副長。奈良県下の宝物を興福寺に集めて博覧会を行った。1877年(明治10年)2月10日、奈良県行幸の明治天皇に拝謁。8月17日、広瀬神社大宮司を退職。父の死で帰郷。同年12月28日(12日?)から1878年(明治11年)3月28日(2月16日?)まで西寒多神社宮司。以後、古書店を開き、収集した書籍や銘品を売って糊口をしのいだ(福岡の古本屋の先駆者とされる)。1879年(明治12年)7月18日、教導職大講義を辞す。1885年(明治18年)10月18日、龍池会通常会員。1886年(明治19年)5月7日、神宮教少教正。1887年(明治20年)4月22日、大社教権中教正。1888年(明治21年)6月24日、沖ノ島の神宝を調査。1889年(明治22年)8月15日、中教正。1890年(明治23年)3月6日、神苑会福岡委員。1892年(明治25年)12月29日、権大教正。1893年(明治26年)4月19日、東京人類学会地方委員。同年、鎮西博物館設立を構想(2005年(平成17年)開館の九州国立博物館の前史に位置付けられる)。1896年(明治29年)12月、蔵書・収集品を伊勢神宮の神宮徴古館に奉納。1900年(明治33年)大教正。1901年(明治34年)10月25日、帝国古蹟調査会福岡支部監事。1902年(明治35年)、大社教福岡分院の私立福岡図書館設立に貢献。1911年(明治44年)11月22日死去。墓所は崇福寺。著書『丹生川上神社所在勘文』[1]、『寧楽雑纂』(奈良雑纂)、「瀛津嶋紀行」[2]、『遺憾録』、『江藤正澄履歴正本』[3]。九州大学付属図書館に「江藤正澄関係資料」がある[4]
  • 松原貴速(1831-?)<1877-1879>:明治前期の内務官僚・神職。1831年(天保2年)生。山口藩出身。1872年(明治5年)4月13日、新川県八等出仕。1873年(明治6年)8月八等出仕上等。1875年(明治8年)、七等出仕、ついで七等判事。1876年(明治9年)8月7日、豊岡県権参事。18日正七位。1877年(明治10年)2月5日、東京府御用掛。同年依願免官。同年12月12日、広瀬神社宮司。翌年3月30日、教導職試補。8月3日、大講義。1879年(明治12年)9月1日、松尾大社宮司。同年12月27日、権少教正。1883年(明治16年)4月23日、石上神宮宮司。同年12月17日、大神神社宮司。1886年(明治19年)7月27日、石清水八幡宮宮司。没年不詳。松原音三。松原雪暉。山県九右衛門。。
  • 安江静(1848-?)<1879-1880>:国学者。美濃国出身。1848年(嘉永1年)生。画家・安江不空の父。少教正。1873年(明治6年)3月27日、伏見稲荷大社大宮司。1879年(明治12年)9月14日から1880年(明治13年)5月14日まで広瀬神社宮司。『十七兼論』『新嘗祭之論』『説教目的』『説教之一端』『帝国憲法註釈』『新撰葬祭考』。
  • 織田長猷(1852-1880)<1880-1880>:華族。芝村織田家の当主。1880年(明治13年)5月14日から広瀬神社宮司。在職中の6月23日死去。
  • 山根愨輔()<1880->:1880年(明治13年)9月17日、広瀬神社宮司。1890年(明治23年)3月25日、橿原神宮初代宮司を兼務。山根温知。(略歴は橿原神宮#組織を参照)
  • 大沢清臣(1833-1892)<>:陵墓研究で知られる国学者。(略歴は、龍田大社#組織を参照)
  • 柳沢保申(1846-1893)<1886-1888>:旧郡山藩主。伯爵。本務は龍田大社宮司。(略歴は龍田大社#組織を参照)
  • 西内成郷(1855-1911)<1892->:1892年、広瀬神社宮司。1902年(明治35年)2月、橿原神宮宮司を兼務。1906年(明治39年)6月、大神神社宮司兼橿原神宮宮司。
  • 大井重古(1847-)<1906->:静岡県出身の内務官僚。1879年(明治12年)静岡県十七等出仕。1885年(明治18年)静岡県属。1901年(明治34年)2月18日、神宮神部署神部。1906年(明治39年)6月23日、広瀬神社宮司。
  • 森村正俊()<1907-1911>:1903年(明治36年)7月17日、玉前神社宮司。1907年(明治40年)3月6日から1911年(明治44年)10月9日まで広瀬神社宮司。
  • 飯島誠()<1911->:1911年(明治44年)10月9日、広瀬神社宮司。
  • 大井田斎(1860-1924)<?-1920>:下野国出身の歌人。1860年(万延1年)生。井上頼圀に師事。金子薫園の短歌研究会に参加。1896年(明治29年)日枝神社主典。広瀬神社宮司。1920年(大正9年)10月18日休職。1922年(大正11年)10月17日、退任。1924年(大正13年)死去。
  • 櫟本憲政()<-1923?>:結城神社宮司。気比神宮宮司。櫟本憲昌とは別人?
  • 山川鵜市(1876-)<1923?-1932>:静岡県出身。1876年(明治9年)生。神宮皇学館卒。長野県立中学校教諭を経て1911年(明治44年)10月20日、唐沢山神社宮司。1921年(大正10年)9月2日、鎌倉宮宮司。1923年(大正12年)頃から広瀬神社宮司。1932年(昭和7年)9月21日まで。同年から1942年(昭和17年)まで龍頭山神社社掌。著書『神祇辞典』[5]、『龍頭山神社史料』。
  • 長坂文雄(1891-)<1932-1941>:愛知県出身。1891年(明治24年)生。国学院大学卒。1918年(大正7年)熱田神宮宮掌。1921年(大正10年)熱田神宮主典。1925年(大正14年)2月12日、生島足島神社宮司。1932年(昭和7年)9月21日から1941年(昭和16年)4月5日まで広瀬神社宮司。同年死去か。
  • 平野直大()<1941->:1941年(昭和16年)4月5日、広瀬神社宮司。
  • 小栗靖(1912-?)<1946-1948>:愛知県出身。1912年(大正1年)生。1933年(昭和8年)国学院大学神道部卒。熱田神宮嘱託、霧島神宮禰宜、吉野神宮禰宜を経て1946年(昭和21年)、広瀬神社宮司。1948年(昭和23年)、尾陽神社嘱託。1954年(昭和29年)尾陽神社宮司。
  • 樋口俊夫(1947-)<1978->:1947年(昭和22年)生。1978年(昭和53年)広瀬神社宮司。

少宮司

  • 芝小路豊訓(1828-?)<1872-?>:奈良華族。興福寺成身院住職。1868年還俗。春日大社新社司。翌年、堂上格となり芝小路家を名乗る。1872年、広瀬神社少宮司兼龍田神社少宮司。ついで丹生川上神社少宮司。1873年、龍田神社少宮司。1877年、龍田神社禰宜。翌年依願退職。
  • 谷勤(1835-1895)<?-1875>:水戸藩士。広瀬神社少宮司。1875年、大和神社少宮司。
  • 中川興長(1853-1920)<>:奈良華族。興福寺五大院住職。大和神社少宮司。石上神宮少宮司。大神神社少宮司。広瀬神社少宮司。
  • 辻鼻真衛()<>:大神神社少宮司。

画像

参考文献

  • 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』

脚注

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BA%83%E7%80%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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