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康楽寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月12日 (金)

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康楽寺は長野県長野市篠ノ井塩崎(信濃国更級郡)にある浄土真宗寺院。親鸞聖人伝絵を描くなど絵仏師を輩出し、康楽寺流の拠点となった(ただし画工の寺は別で、京都にあったという説もある)。信濃真宗の最大級の寺院で「信濃門跡」とまで呼ばれた。院家報恩院と号す。塩崎康楽寺。山号は白鳥山。

目次

歴史

  • 某年:海野通広、出家して信救と称す。興福寺の僧となる。
  • 1180年(治承4年):以仁王挙兵。園城寺からの書状に興福寺の返状の執筆をする。それが平清盛を怒らせたため、北国に逃れた。
  • 源義仲に祐筆として従う。大夫房覚明と号す。
  • 1195年(建久6年):源頼朝により箱根山で山内禁足となる。
  • 某年:比叡山に戻り、浄寛と称す。慈円法然に師事し、のち親鸞に師事して西仏と称す。
  • 1212年(建暦2年):西仏、信濃国小県郡海野庄(長野県東御市の信濃海野・白鳥神社あたりか)に報恩院(康楽寺)を創建。1234年(文暦1年)説のほうが古い。のち長谷に移転。
  • 1241年(仁治2年)1月28日:西仏死去。
  • 1285年(弘安8年):本願寺より「康楽寺」の寺号を与えられる。1279年(弘安2年)とも。
  • 1295年(永仁3年):康楽寺浄賀、『親鸞聖人伝絵』2巻を制作。詞書は覚如
  • 1343年(興国4年/康永2年):浄耀と浄蓮、『本願寺上人伝絵』を制作。
  • 1558年(永禄1年):現在地に移転。
  • 1568年(永禄11年):武田信玄が高札を掲げて保護
  • 1568年(永禄11年)8月2日:武田信玄、80貫文を寄進
  • 1576年(天正4年)4月:石山合戦に際して本願寺に210俵を送る。
  • 1578年(天正6年)8月21日:武田勝頼、末寺と寺内寺の住民に人頭税などを免除
  • 1600年(慶長5年):松城城主森忠政、7町余を寄進
  • 某年:塩崎康楽寺、東本願寺に帰参か。
  • 1665年(寛文5年)11月12日:西本願寺、広教寺に「康楽寺」号を与える(東町康楽寺)。
  • 1689年(元禄2年)2月:西本願寺に転派か(明細帳)
  • 1698年(元禄11年)10月:梵鐘鋳造
  • 文政:この頃の末寺帳によると、康楽寺には地中11寺、末寺15寺の26寺があり、西本願寺末では信濃国最多の末寺を持った。[1]
  • 1787年(天明7年)1月:焼失
  • 1966年(昭和41年)11月26日:屋根修復落慶

組織

歴代住職

13世まで『白鳥山代々簿』[2]による

  • 1西仏(1157-1241)<>:源氏。俗名は海野通広。貞保親王の後胤という。親鸞の直弟子というが、法善の弟子ともいう。西乗坊信救、大夫房覚明、浄寛と称す。
  • 2浄賀(1275-1356)<>:宅磨派の絵師に師事。最初の『親鸞聖人伝絵』を描く。以後、歴代は画僧として活躍。信光。
  • 3浄耀(1293-1370)<>:浄賀の子。『本願寺上人伝絵』を描く。号は宗舜。大僧都。1370年(応安3年)8月18日死去。78歳。
  • 4浄蓮()<>:浄耀の子。円寂(円舜?)とも。1384年(至徳1年)4月9日死去。67歳。大法師。
  • 5浄明()<>:信宗。1389年(康応1年)10月10日死去。50歳。法橋。
  • 6浄峰()<>:信時。1428年(正長1年)7月11日死去。51歳。僧都。
  • 7浄淵()<>:信明。1450年(宝徳2年)5月12日死去。40歳。法眼。
  • 8浄善()<>:信家。1456年(康正2年)8月11日死去。30歳。法師。
  • 9浄行()<>:信昌。1460年(寛正1年)11月22日死去。39歳。法橋
  • 10浄了()<>:善名、信久。1469年(文明1年)11月26日死去。42歳。法眼。
  • 11浄林()<>:祐専、信勝。1491年(延徳3年)6月26日死去。53歳。
  • 12浄祐()<>:教専、佐信。1510年(永正7年)9月26日死去。64歳。権律師。
  • 13浄専()<>:之信。1557年(弘治3年)4月15日死去。48歳。法印。吉田浄専寺を創建。
  • 14浄教()<>:康楽寺を現在地に移転。
  • 24沢瑞()<>:
  • 25海野広周()<>:1836年(天保7年)生。1853年(嘉永6年)4月3日、本願寺で得度し、同日住職に就任。1872年(明治5年)6月23日、教導職権訓導。のち大講義。県内の「総組長」も務めた。

資料

史料・古典籍

  • 『康楽寺文書』:信州デジタルコモンズ[3]
  • 『本願寺聖人親鸞伝絵』信州デジタルコモンズ[4]
  • 『康楽寺古文書・写』信州デジタルコモンズ[5]
  • 『康楽寺縁起』
  • 『白鳥山代々簿』[6]:1817年(文化14年)成立。一部。
  • 『康楽寺法宝物略縁記』[7]
  • 『康楽寺白鳥伝』:『大系真宗史料・伝記編3』所収。
  • 『親鸞聖人行状記』:『大系真宗史料・伝記編3』所収。
  • 『白鳥伝鎌倉記』:『大系真宗史料・伝記編3』所収。
  • 明細帳:1872年(明治5年)。[8]

文献

  • 沢村専太郎1920「康楽寺流の画家に就いて」:『日本絵画史の研究』再録[9]
  • 司田純道1944「康楽寺流の画家について」『日本仏教史学』2-4
  • 千葉乗隆1966「信濃真宗寺院成立の系譜」『真宗史の研究』[10]
  • 海野浄雄1969『康楽寺―その歴史と機能』[11]:東町の康楽寺の寺史
  • 1971『塩崎村史』「康楽寺と一向衆徒」[12]
  • 根井浄1983「大夫坊覚明と『平家物語』」[13]
  • 1987『長野県史 通史編 第3巻』「海野系寺院の発展」[14]
  • 武久堅2010「延慶本平家物語における「木曽大夫覚明」の役割と「覚明伝承」展開にかかわる覚一本の「滋野」「海野」書写上の問題点」
  • 祢津宗伸2019「康楽寺画工についての考察―妙法院文書による司田純道説と源豊宗説の再検討」
  • 祢津宗伸2019「康楽寺本の親鸞伝絵について」[15]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BA%B7%E6%A5%BD%E5%AF%BA」より作成

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