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康楽寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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康楽寺は長野県長野市篠ノ井塩崎にある浄土真宗寺院。親鸞聖人伝絵を描くなど絵仏師を輩出し、康楽寺流の拠点となった。
歴史
- 某年:海野通広、出家して信救と称す。興福寺の僧となる。
- 1180年(治承4年):以仁王挙兵。園城寺からの書状に興福寺の返状の執筆をする。それが平清盛を怒らせたため、北国に逃れた。
- 源義仲に祐筆として従う。大夫房覚明と号す。
- 1195年(建久6年):源頼朝により箱根山で山内禁足となる。
- 某年:比叡山に戻り、浄寛と称す。慈円、法然に師事し、のち親鸞に師事して西仏と称す。
- 1212年(建暦2年):西仏、信濃国埴科郡海野庄に報恩院(康楽寺)を創建。
- 1241年(仁治2年)1月28日:西仏死去。
- 1295年(永仁3年):覚如の詞書で康楽寺浄賀により「親鸞聖人伝絵」2巻を制作。
- 1343年(興国4年/康永2年):浄耀と浄蓮、『本願寺上人伝絵』を制作。
- 1568年(永禄11年):武田信玄が高札を掲げて保護
- 1568年(永禄11年)8月2日:武田信玄、80貫文を寄進
- 1578年(天正6年)8月21日:武田勝頼、末寺と寺内寺の住民に人頭税などを免除
- 1576年(天正4年)4月:一向一揆で本願寺に210俵を送る。
- 1600年(慶長5年):松城城主森忠政、7町余を寄進
組織
歴代住職
- 1西仏(1157-1241)<>:源氏。俗名は海野通広。貞保親王の後胤という。信救、大夫房覚明、浄寛と称す。
- 2浄賀(1275-1356)<>:宅磨派の絵師に師事。最初の『親鸞聖人伝絵』を描く。以後、歴代は画僧として活躍。
- 3浄耀(1293-1370)<>:浄賀の子。『本願寺上人伝絵』を描く。号は宗舜。
- 4浄蓮()<>:円寂とも。
- 24沢瑞()<>: