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延暦寺安楽律院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
延暦寺安楽律院
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[[File:安楽律院_(12).jpg|伽藍跡|thumb|400px|]] '''安楽律院'''(あんらくりついん)は、滋賀県大津市の[[比叡山]][[延暦寺]]の横川地区飯室谷にある[[浄土教]]と[[律]]を修する[[天台宗]]寺院。'''[[安楽律院流]]'''の拠点だった。旧本尊は源信作の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩(焼失)。[[天台宗延暦寺派]]。'''安楽院'''。(参考:同名寺院[[安楽院]]) == 歴史 == ===浄土教の道場=== 985年(寛和1年)10月、叡桓が範好・忠正・延久・惟慶と共に建てた念仏道場が起源。翌年夏、[[源信]]を招き、念仏行法を始めた。この時、慶滋保胤が縁起文を記した。ついで996年(長徳2年)8月、叡桓らは「首楞厳院安楽谷起請文」を定めた。[[織田信長]]の焼き討ちを免れる。 ===安楽律院流の興隆=== 1693年(元禄6年)、公弁法親王が霊空光謙に与え、四分律を兼学する天台律の道場となる。霊空は師の妙立慈山を中興開山とした。1697年(元禄10年)、幕府から100石を与えられる。 1706年(宝永3年)、玄門智幽(1666-1752)が跡を継いだ。霊空は密教を脇に置いたが、智幽は密教に高い見識を持ち、1716年(享保1年)に伝法灌頂を受ける。1718年(享保3年)、伝法灌頂を始め、1736年(元文1年)安楽律院に灌室を整備し、顕密戒兼学の律院となった。智幽は1743年(寛保3年)住職を退任し、一年輪番制とした。 末寺として1723年(享保8年)、江戸[[寛永寺]]には[[浄名律院]]、1729年(享保14年)、日光[[日光・輪王寺|満願寺]]には[[興雲律院]]が開かれた。 しかし、大乗戒を主張する守旧派と対立。顕道敬光や円耳真流が批判。安楽騒動となる。1752年(宝暦2年)、公啓法親王が輪王寺宮に就任すると、円耳真流が進言。1758年(宝暦8年)、公啓法親王は兼学律廃止を命じた。安楽院には円耳真流が住した。しかし1772年(安永1年)、公遵法親王が輪王寺宮に就任すると、安楽律復興が宣言され、円耳真流は追放された。 1949年(昭和24年)、焼失。叡桓墓、藤原定家墓、妙立慈山墓、霊空光謙墓、玄門智幽墓がある。 (国史大事典、日本歴史地名大系) <Gallery widths="200" heights="150" perrow="3"> File:安楽律院_(1).jpg|「摂僧大界并摂衣界」の結界碑 File:安楽律院_(2).jpg|「不許葷酒入門内」の結界碑 File:安楽律院_(3).jpg|参道 File:安楽律院_(4).jpg|門 File:安楽律院_(5).jpg|扁額 File:安楽律院_(6).jpg|石塔 File:安楽律院_(7).jpg|堂 File:安楽律院_(8).jpg|堂跡 File:安楽律院_(9).jpg|石仏 File:安楽律院_(10).jpg|護摩壇? File:安楽律院_(11).jpg|石仏 File:安楽律院_(13).jpg|石塔 File:安楽律院_(14).jpg|堂跡 File:安楽律院_(15).jpg|堂跡 File:安楽律院_(16).jpg|堂 File:安楽律院_(17).jpg|蔵 </Gallery> ==組織== ===住職=== {|class="wikitable" |+ !style="width:5%;"|世数 !style="width:10%;"|名 !style="width:10%;"|生没年 !style="width:10%;"|在職年 !style="width:70%;"|略歴 |- | |叡桓 |生没年不詳 | |平安時代の僧侶。985年(寛和1年)安楽院を開いたという。 |- |1 |妙立慈山 |1637-1690 | |天台律宗安楽律院流の開祖。美作出身。1637年(寛永14年)生。和田氏。最初、山城花山寺で雷峰に師事し禅を学ぶが、1664年(寛文4年)坂本に庵を結ぶ。自誓受戒。1668年(寛文8年)泉涌寺で大蔵経を読むこと3年、天台宗に転派。円頓戒、伝法灌頂を受ける。日本天台宗伝統の大乗戒を否定し、南山律を主張したため、異議として追放された。泉涌寺や西明寺でも律を学ぶ。1678年(延宝6年)比叡山を去る。1682年(天和2年)聖護院近くに有門庵を開く。即心念仏を説き、聖護院宮、三千院宮、毘沙門堂宮の帰依を受けた。1690年(元禄3年)7月3日死去。54歳。のち輪王寺宮公弁法親王が安楽律院流として認め、延暦寺安楽律院の中興の祖とみなされた。唯忍子。 弟子に霊空光謙、玄門智幽、義瑞性慶、義天ら。 |- |2 |霊空光謙 |1652-1739 |1694-1706 |天台律宗安楽律院流の第二祖。筑前出身。1652年(承応1年)生。岡村氏。慈山妙立に師事。安楽律院流を興隆し、1694年(元禄7年)安楽律院住職となった。江戸の寛永寺浄名律院や日光の輪王寺興雲律院も開いた。1706年(宝永3年)住職退任。1739年(元文4年)死去。光舜。幻々庵。有門庵。 弟子に守篤本純。 |- |3 |玄門智幽 |1666-1752 |1706-1743 |天台律宗安楽院派の第三祖。伊勢出身。1666年(寛文6年)生。茨木氏。1678年(延宝6年)松阪一乗寺に入る。翌年得度。1684年(貞享1年)に妙立慈山から八斎戒を受けたのが転機となった。1685年(貞享2年)菩薩戒を受戒。1688年(元禄1年)一乗寺住職となるが、出奔。妙立慈山に随従するが、師はまもなく1690年(元禄3年)死去。以後は兄弟子の霊空光謙に師事する。1692年(元禄5年)に安楽院が律院と認められ、活動が本格化すると霊空光謙を支えた。1701年(元禄14年)一乗寺を律院にすると共に諸国を巡教。1706年(宝永3年)安楽律院住職就任。1716年(享保1年)延暦寺正覚院慧潤から伝法灌頂を受け、安楽律に密教を導入する。50ほどの寺院を開いたという。1743年(寛保3年)安楽律院に一年輪番制を定める。1752年(宝暦2年)死去。 |- |4 |円耳真流 |1711-? |1758?-1772 |伊勢出身。1711年(正徳1年)生。延暦寺禅定院9世の智濤に師事。1724年(享保9年)6月、禅定院看坊。1730年(享保15年)3月禅定院住職10世。1735年(享保20年)9月8日、受戒籠山。1747年(延享4年)9月8日満行。1758年(宝暦8年)頃、安楽律院住職となる。安楽律院流を批判。1771年(明和8年)3月10日退任して南禅寺の近くの草庵に隠居。6月21日、座主の命令で住職に復帰。1772年(安永1年)12月、安楽律復興の令旨で引退。まもなく死去という。 |} <Gallery widths="200" heights="150" perrow="3"> File:安楽律院_(18).jpg|墓地 File:安楽律院_(19).jpg|墓地 File:安楽律院_(20).jpg|玄門智幽墓 File:安楽律院_(22).jpg|霊空光謙墓 File:安楽律院_(23).jpg|叡桓墓 File:安楽律院_(24).jpg|妙立慈山墓 </Gallery> ===輪番=== *真咬()<>: *知雄()<>: *楚善()<>: *匿嶺()<>: *性貫()<>: *義价()<>: *同空()<>: *忠谷()<>: *普育()<>: *智堂()<>: *現脱()<>:1757年(宝暦7年)輪番就任。 *実道()<>: *覚道()<>: *珍州()<>:1758年(宝暦8年)輪番就任。追放される。 *寂進()<-1778>:1778年(安永7年)9月4日退任。1791年(寛政3年)死去。 *寂音()<1778->:1778年(安永7年)9月4日輪番就任。 *智厳()<-1784>:1784年(天明4年)退任。 *性潭()<1784-1787>:1784年(天明4年)輪番就任。1787年(天明7年)浄名律院輪番に転任。1790年(寛政2年)8月、再び安楽律院輪番。1808年(文化5年)死去。 *性潭()<1790->: *大空()<>: *大超()<>: *真境()<>: *寂玄()<>: *省我()<>: *仁海()<>: *覚忍()<>: *慧澄痴空(1780-1862)<1839->:1780年(安永9年)生。粉河寺十禅院を創建。1830年(天保1年)8月、浄名律院住職。1839年(天保10年)安楽律院住職。1862年(文久2年)3月2日死去。(日本仏家人名辞書) *性憲()<>:1853年(嘉永6年)在職。 *忍達()<>:1869年(明治2年)在職。1873年(明治6年)死去。 ===住職(近代)=== 戦前の規定では「貫首」と呼称。 *岩佐普潤(1829-1901)<1875->:1875年(明治8年)12月24日安楽律院住職。1887年(明治20年)粉河寺十禅院住職。1890年(明治23年)興雲律院住職。1892年(明治25年)坂本世尊寺住職。(日本仏家人名辞書) *貴宝良順()<>:1890年(明治23年)9月在職。 *宝珠山慈照()<1940->:福岡宝聚寺(元は盲僧派)住職。1940年(昭和15年)1月20日、安楽律院貫首就任。 *柴田霊潭()<>:1964年(昭和39年)頃在職。[[摩尼寺]]住職。 *叡南祖賢(1903-1971)<1949->:1949年(昭和24年)就任。 *中川光熹(1937-)<>:天台宗安楽律法流貫首。興雲律院住職。安楽律院住職。日光修験の再興を試みている。 [[category:滋賀県]]
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