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延暦寺華台院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月18日 (火)
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2017年7月18日 (火) 時点における最新版
延暦寺華台院(えんりゃくじ・けだいいん)は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺横川地区兜率谷にあった源信ゆかりの天台宗寺院。本尊は阿弥陀如来。兜率谷の本堂とされる。廃絶。浄土教の聖地で、現在も宗派を超えて全国で行われている迎講(練り供養、来迎会)の発祥地。(参考:同名寺院華台院_(同名))
歴史
横川中堂の南東、恵心院の近くにあったという。正確な位置ははっきりしないが、恵心院のすぐそばにあったか。源信が権少僧都を辞任し、横川に隠棲し始めた時の庵が起源という。丈六阿弥陀仏3体があり、源信は迎講(練り供養)を始めたという。源信没後も迎講が行われた記録があるが、寺の歴史ははっきりせず、織田信長焼き討ち後に再建された記録もないという。(日本歴史地名大系)