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延暦寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年4月15日 (金)

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延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市の比叡山にある、日本天台宗本山寺院。本尊は薬師如来天台宗延暦寺派総本山平安京の鎮護の寺とされ、古代の官寺二十五寺・四大寺の一つでもある。多くの宗派の開祖が修行するなど、日本仏教を最も代表する寺院の一つ。元号寺。三塔と呼ばれる東塔、西塔、横川の三地区から構成され、多くの伽藍や塔頭がある。六所宝塔のうち、二つがある。塔頭を発祥とする妙法院門跡三千院門跡青蓮院門跡の比叡山三門跡がある。東塔には根本中堂戒壇院、最澄の墓所の浄土院がある。麓の坂本には里坊が並ぶ。鎮守は日吉大社最澄桓武天皇の帰依を得て創建。中世には多くの僧兵を擁して巨大な軍事勢力として恐れられた。織田信長の焼き討ちで壊滅的被害を受けたが復興した。法華経信仰の聖地であり、密教浄土教修験道ゆかりの聖地でもある。皇室との関わりが深く、御修法大法などが行われている。住職を天台座主と呼び、現代の宗教界でも大きな権威を持つ。比叡山の項目も参照。北嶺


目次

伽藍

比叡山を参照。

子院

比叡山を参照。子院のことを延暦寺では「一山寺院」「延暦寺一山」と呼び、各寺の名前を「延暦寺一山●●院」などと呼ぶ。延暦寺内局とは別個に「延暦寺一山会議」を組織する。

組織

住職

天台座主

  • 最澄
  • 1義真:
  • 円修:義真の弟子。山内衆徒の賛同を得ず、追放される。その後、室生寺に入る。さらに入唐、
  • 2円澄:


  • 『天台座主記』:多くの異本がある。
    • 『続群書類従』所収本:84澄覚まで。書陵部本。新日本古典籍総合DB[1]
    • 大和文華館本:84澄覚まで。新日本古典籍総合DB[2]
    • 『衆僧補任諸記』所収本:162覚胤まで。新日本古典籍総合DB[3]
    • 柳原本:166世まで。抄略。宮内庁[4]
    • 『群書類従』所収本:167世の尊朝まで。抄略。近世[5]、1893刊[6]、1902刊)[7]
    • 肥前松平文庫本:167世の尊朝まで。抄略。新日本古典籍総合DB[8]
    • 西尾市岩瀬文庫本。212尊真まで。新日本古典籍総合DB[9]
  • 近現代編纂の『天台座主記』
    • 『校訂増訂天台座主記』:1935年。246世勝契まで。1999年復刻。
    • 『続天台座主記』:1940年。247世梅谷孝永。1999年復刻。国会[10]
    • 『天台座主記第三編』:1971年。247世~252世。天台宗務庁編。[11]
    • 『天台座主記第四編』:2001年。天台宗務庁編。
  • 『天台座主歴代略記』:叡山文庫本。附滋賀院門跡歴代略記。

天台座主(近現代)

世数 生没年 在職年 門跡 略歴
232 久住豪海 1868-1875 自坊は延暦寺正覚院。1868年(明治1年)閏4月16日、座主の三千院昌仁法親王(梨本宮守脩親王)の還俗にともない学頭の豪海が天台座主に就任。まもなく天台座主の称号は廃止されたというが不詳。1870年(明治3年)3月28日、日光山と寛永寺の「本山」の号が廃止され、関東を中心とした教団運営が否定され、延暦寺が宗派を管轄するようになる、1872年(明治5年)4月、教導職制度が始まり、同月、権少教正となりまもなく大教正となる。5月9日、管長制度が制定され、6月13日天台宗管長に就任。1875年(明治8年)8月辞任。
233 赤松光映 1819-1895 1875-1881 自坊は延暦寺金台院。豊後国出身。1819年(文政2年)12月19日生。江戸寛永寺の見明院光千について得度。1845年(弘化2年)大阿闍梨。1875年(明治8年)8月天台宗管長。権大教正。1879年(明治12年)大教正。1881年(明治14年)管長退任。1895年(明治28年)8月15日死去。77歳。号は如如院。棘樹。
234 大椙覚宝 1808-1890 1882-1890 自坊は延暦寺寿量院。1808年(文化5年)生。1864年(元治1年)千日回峰行成満。1882年(明治15年)1月天台宗管長就任。1884年(明治17年)8月19日天台座主の号が復活。1890年(明治23年)1月25日死去。
235 三浦実源 1821-1894 1890-1894 1821年(文政4年)生。1890年(明治23年)4月4日、天台座主に就任内務省認可(7日官報)。1894年(明治27年)11月8日死去。74歳。
(石室孝暢) 1895-1896 1895年(明治28年)5月3日、内務省訓令第5号で天台宗事務取扱となる。1896年(明治29年)6月24日まで。
(中山玄航) 1895-1896 1895年(明治28年)5月3日、内務省訓令第5号で天台宗事務取扱となる。1896年(明治29年)6月24日まで。
236 村田寂順 1838-1905 1896-1897 三千院門跡
妙法院門跡
三千院門跡門主53世。妙法院門跡門主43世。善光寺大勧進住職89世。鰐淵寺住職。1896年(明治29年)6月24日、天台座主就任、内務省認可(25日官報)。1897年(明治30年)辞職。1905年(明治38年)10月29日死去。68歳。(略歴は妙法院#組織を参照)
237 石室孝暢 1837-1899 1897-1899 曼殊院門跡 1837年(天保8年)8月4日生。1897年(明治30年)9月28日、天台座主就任を内務省認可(10月1日官報)。1899年(明治32年)5月31日死去。死去前に辞任か。
238 中山玄航 1828-? 1899-1900 毘沙門堂門跡 自坊は延暦寺正覚院。1828年(文政11年)生。1899年(明治32年)就任か。翌年辞職。
239 坊城皎然 1835-1905 1900-1901 滋賀院門跡 越前国丹生郡出身。1835年(天保6年)7月20日生。1845年(弘化2年)京都松林院で得度。1847年(弘化4年)養源院で四度加行。1851年(嘉永4年)延暦寺総持坊灌室で伝法灌頂。1862年(文久2年)竪義遂業。1865年(慶応1年)行光坊灌室で開壇。1878年(明治11年)戸津説法。1883年(明治16年)円龍院で開壇。1884年(明治17年)望擬講。1891年(明治24年)探題。最初は延暦寺円教院住職。1876年(明治9年)実蔵坊住職。1884年(明治17年)12月、般舟院住職を兼務。1888年(明治21年)1月、施福寺住職を兼務。1890年(明治23年)5月成菩提院兼務。1891年(明治24年)9月、延暦寺竹林院住職。1895年(明治28年)5月、延暦寺恵心院住職。1897年(明治30年)4月滋賀院門跡。1898年(明治31年)正観院を兼務。1873年(明治6年)4月、教導職試補。1884年(明治17年)7月大講義。1895年(明治28年)総務局長。1897年(明治30年)8月、宗機顧問。1900年(明治33年)10月30日天台座主就任、内務省認可(31日官報)。1901年(明治34年)辞任して滋賀院門跡。1905年(明治38年)5月18日死去。71歳。『皎然大僧正遺稿集』[12]
240 梅谷孝成 1845-1914 1901-1902 三千院門跡 1845年(弘化2年)生。1901年(明治34年)12月2日天台座主就任を内務省認可(3日官報)。1914年(大正3年)8月21日死去。無量慈心院と号す。
241 三津玄深 1902-1903 青蓮院門跡 自坊は延暦寺円乗院。1902年(明治35年)、天台座主就任、内務省認可(10月31日官報)。病気で退職。
242 吉田源応 1849-1927 1903-1904 四天王寺住職。尾張国出身。1849年(嘉永2年)6月10日生。1860年(万延1年)龍泉寺で得度。1864年(元治1年)密蔵院灌室で灌頂。1875年(明治8年)密蔵院住職。1889年(明治22年)四天王寺住職。1903年(明治36年)11月2日、天台座主就任を内務省認可(4日官報)。翌年、病気で退任。1918年(大正7年)4月24日天台座主就任、文部省認可(26日官報)。天王寺高等女学校設立。1927年(昭和2年)7月25日死去。79歳。慈是心院と号す。
243 山岡観澄 1844-1911 1904-1911 曼殊院門跡 金峰山寺住職。美濃国安八郡出身。1844年(弘化1年)2月2日生。1899年(明治32年)9月20日、曼殊院門跡。1900年(明治33年)6月27日金峰山寺住職を兼務し、天台宗修験道管領。1904年(明治37年)10月19日天台座主、内務省認可(20日官報)。1911年(明治44年)5月24日死去。
244 不二門智光 1841-1918 1911-1918 因幡国出身。1841年(天保12年)生。光範の弟子。因幡・大雲院に入る。1872年(明治5年)延暦寺蓮華院の住職。1876年(明治9年)大雲院住職。1911年(明治44年)5月29日天台座主、内務省認可(30日官報)。天台宗西部大中学校長。1918年(大正7年)4月11日死去。78歳。俗姓は須村。号は正覚院、阿弥陀院。
245 吉田源応 再任 1918-1927 再任。1918年(大正7年)4月24日天台座主就任、文部省認可(26日官報)。1927年(昭和2年)7月25日死去。79歳。
246 中村勝契 1855-1927 1927-1927 青蓮院門跡
曼殊院門跡
尾張国出身。1855年(安政2年)5月28日生。日輪寺で得度。1877年(明治10年)延暦寺に移る。天台宗憲章の草案を作成。1911年(明治44年)探題。日暹寺、青蓮院門跡。1927年(昭和2年)8月1日、天台座主就任を文部省認可(3日官報)。同年11月3日死去。73歳。
247 梅谷孝永 1863-1945 1927-1940 三千院門跡
妙法院門跡
自坊は延暦寺竹林院・魚山蓮成院(来迎院子院)。越前国今立郡出身。1863年(文久3年)10月1日生。1879年(明治12年)、妙法院で梅谷孝成を師として藤本道盈について得度。1881年(明治14年)、三千院で四度加行。1882年(明治15年)10月19日、教導職試補。11月、寛永寺灌室で灌頂。1883年(明治16年)広学竪義遂業。1884年(明治17年)蓮成院住職。同年5月4日、魚山の如来蔵で最澄の度牒戒牒を発見する。1887年(明治20年)3月魚山善逝院兼務。9月延暦寺正覚院灌室で、開壇伝法。12月、延暦寺本行院兼務。1889年(明治22年)密教悉皆伝法。1897年(明治30年)三千院御懺法講の復興を宮内省から許可。1901年(明治34年)1月5日、延暦寺執行。24日辞任。1904年(明治37年)戸津説法。1906年(明治39年)9月27日望擬講。12月4日僧正。1913年(大正2年)12月27日、延暦寺竹林院住職。1915年(大正4年)4月22日、三千院門跡に就任。1919年(大正8年)7月26日擬講。1920年(大正9年)宗機顧問。1922年(大正11年)11月23日已講。1924年(大正13年)3月12日、妙法院門跡に転任。1926年(昭和1年)日本仏教代表者として中国訪問。その帰りに天台山などに参拝。1927年(昭和2年)11月3日探題となり、5日、天台座主に就任文部省認可(9日官報)。妙法院も兼務。7月1日、伝灯相承式を讃仏堂で実施。1940年(昭和15年)9月13日、妙法院で座主辞意表明。1940年(昭和15年)10月31日、辞職。ただし座主職の肩書で、同年11月10日、東京曹洞宗吉祥寺で行われた紀元2600年記念の管長会議と、10日から11日の宮城外苑の紀元2600年式典および奉祝会に出席。1945年(昭和20年)1月13日死去。
248 久田全珖 1869-1947 1940-1941 曼殊院門跡 愛知県高台寺村出身。1869年(明治2年)6月24日生。1878年(明治11年)得度。1893年(明治26年)法王寺住職。1897年(明治30年)三河・真福寺住職。同年、総会議員。1921年(大正10年)9月、天台宗総務。1924年(大正13年)5月、曼殊院門跡。1925年(大正14年)7月、宗機顧問。同年戸津説法。1928年(昭和3年)2月、望擬講。同月擬講。1931年(昭和6年)11月5日、已講。1940年(昭和15年)5月21日探題。1940年(昭和15年)10月31日、天台座主。同日、文部省は天台宗管長就任を認可。11月5日、妙法院で法灯および事務を引継ぐ。11月8日入山式。11月19日、拝堂式。12月15日、宮内省および宮家の挨拶のため東京訪問。1941年(昭和16年)1月6日、文部省から天台三派合同の方針を指示される。病気のため真福寺に転地療養。1941年(昭和16年)3月31日、病気のため辞職。1947年(昭和22年)2月8日、曼殊院で死去。
249 渋谷慈鎧 1876-1947 1941-1947 毘沙門堂門跡 合同天台宗初代管長。真正極楽寺住職。岡山県加美村出身。1876年(明治9年)8月1日生。1887年(明治20年)得度。1896年(明治29年)宝寿寺住職。1905年(明治38年)12月、延暦寺鶏頭院住職。1909年(明治42年)延暦寺幹事。1926年(昭和1年)3月、延暦寺華蔵院住職。1930年(昭和5年)戸津説法。1934年(昭和9年)9月、真正極楽寺住職。1935年(昭和10年)7月4日、延暦寺執行。1936年(昭和11年)9月、望擬講。同月擬講。1939年(昭和14年)8月1日毘沙門堂門跡。1940年(昭和15年)5月21日、已講。1941年(昭和16年)3月30日、探題。31日、天台座主。同日、合同天台宗の初代管長就任の認可を文部省から得る。5月9日、仮入山式。5月14日、上京して天台宗管長として宮中に参内。10月、戦時下臨時御修法を修す。11月29日、合同天台宗の第1回宗会開会。12月6日、天台宗管長上任式および天台座主伝灯相承式を讃仏堂で実施。12月17日、伊勢神宮参拝。1942年(昭和17年)9月15日16日、満洲建国10年祭の大祝典に日本仏教界を代表して出席。11月26日、各宗教の管長統理者と共に昭和天皇に謁見。1947年(昭和22年)10月7日死去。
250 中山玄秀 1879-1959 1947-1959 毘沙門堂門跡 自坊は延暦寺真乗院・明徳院。福井県福井市出身。1879年(明治12年)1月7日生。旧姓は大橋。1892年(明治25年)正覚院中山玄航のもとで得度。天台宗西部大学林卒?。1894年(明治27年)四度加行。1895年(明治28年)法曼院灌室で入壇灌頂。1899年(明治32年)登壇受戒。同年、竪義遂業。1901年(明治34年)回峰行100日満行。1902年(明治35年)6月17日真乗院住職。1907年(明治40年)法曼院灌室で開壇伝法。1920年(大正9年)10月14日明徳院住職。1921年(大正10年)御遠忌事務局掛員・延暦寺幹事。1936年(昭和11年)戸津説法。1938年(昭和13年)3月7日、延暦寺執行に就任。1940年(昭和15年)5月18日望擬講。1941年(昭和16年)6月30日、毘沙門堂門跡。1943年(昭和18年)12月24日擬講。1945年(昭和20年)5月8日、宗機顧問。1946年(昭和21年)5月8日、已講。9月21日、比叡山専修院院長・比叡山専門学院学長。1947年(昭和22年)5月22日探題。同年10月10日天台座主。同日、天台宗規則(宗法、宗制)施行。1948年(昭和23年)2月24日、新規則に基づく第1回宗会開会。2月28日、伝灯相承式。1952年(昭和27年)2月7日、宗教法人法に基づく宗教法人「天台宗」設立登記。1955年(昭和30年)11月8日園遊会出席。1956年(昭和31年)10月大講堂が焼失し、再建に尽力した。1959年(昭和34年)11月9日死去。80歳。金剛慈心院と号す。
251 即真周湛 1889-1971 1959-1970 滋賀院門跡 自坊は延暦寺理性院。岐阜県出身。1888年(明治21年)9月26日生。1899年(明治32年)理性員で即真得真を師として坊城皎然について得度。1903年(明治36年)施福寺で坊城皎然について四度加行。1907年(明治40年)正覚院灌室で天納中海について入壇灌頂。1910年(明治43年)12月14日、理性院住職。1911年(明治44年)正覚院灌室で梅谷孝成について開壇伝法。同年、不二門智光について登壇受戒。同年、石堂晃純について竪義遂業。1915年(大正4年)天台宗西部大学卒。1916年(大正5年)比叡山中学校教諭。1917年(大正6年)大覚寺住職を兼務。その後、白毫院、華王院、観明院、総持坊、薬樹院、正覚院も兼務。1925年(大正14年)延暦寺幹事。1935年(昭和10年)宗務庁営繕部長。1935年(昭和10年)7月15日、善光寺大勧進副住職。1938年(昭和13年)戸津説法。1940年(昭和15年)4月20日、延暦寺執行。1941年(昭和16年)11月1日、宗会議員。1944年(昭和19年)11月6日、望擬講。1944年(昭和19年)11月18日、滋賀院門跡門主に就任。1951年(昭和26年)3月10日擬講。同年5月20日已講。1953年(昭和28年)5月11日、探題。1959年(昭和34年)11月9日、天台座主。1965年(昭和40年)5月2日、中国天台山国清寺を参拝。1970年(昭和45年)10月24日、辞任。1971年(昭和46年)2月15日死去。82歳。
252 菅原栄海 1888-1975 1970-1974 日光輪王寺門跡 自坊は日光山医王院。岩手県水沢市藤里の寺の出身。1888年(明治21年)2月16日生。1898年(明治31年)医王院に入り石室孝暢について得度。1902年(明治35年)彦坂諶照について四度加行。1910年(明治43年)寛永寺灌室で入壇灌頂。1914年(大正3年)天台宗大学卒。同年11月17日、医王院住職。1919年(大正8年)、天台座主について登壇受戒。同年、吉田源応について竪義遂業。1927年(昭和2年)輪王寺門跡執事長。1928年(昭和3年)法曼院灌室で開壇伝法。1952年(昭和27年)3月4日輪王寺門跡門主に就任し大僧正。同年11月17日、宗機顧問。1957年(昭和32年)戸津説法。同年9月7日望擬講。1959年(昭和34年)9月18日擬講。1962年(昭和37年)12月1日已講。1963年(昭和38年)6月6日探題。1967年(昭和42年)宗機顧問。1970年(昭和45年)10月24日、天台座主。1974年(昭和49年)12月1日辞任。1975年(昭和50年)11月14日死去。87歳。栃木県仏教会会長。
253 山田恵諦 1895-1994 1974-1994 滋賀院門跡 自坊は延暦寺瑞応院。戒光院の堀恵慶の弟子。兵庫県太子町出身。1895年(明治28年)12月1日生。1904年(明治37年)延命寺で出家得度。1920年(大正9年)天台宗西部大卒。1949年(昭和24年)戸津説法。1950年(昭和25年)望擬講。1971年(昭和46年)探題。1964年(昭和39年)滋賀院門主。天台宗教学部長、天台宗勧学院院長など歴任。1974年(昭和49年)12月1日天台座主。1986年(昭和61年)「アッシジで開かれた世界宗教者平和の祈りの集い」に出席。1987年(昭和62年)世界の宗教代表者をあつめて比叡山宗教サミットを実現。全日本仏教会会長。1994年(平成6年)2月22日死去。98歳。
254 梅山円了 1903-1997 1994-1997 毘沙門堂門跡 自坊は延暦寺妙行院。滋賀県甲賀市出身。1903年(明治36年)8月2日生。15歳で得度。天台宗西部大学(現叡山学院)卒。専修院本科卒。比叡山高校校長。宗派の財務部長・教学部長・庶務部長を歴任。1978年(昭和53年)から1991年(平成3年)まで毘沙門堂門跡門主。1979年(昭和54年)探題。1994年(平成6年)天台座主。1997年(平成9年)1月20日死去。93歳。
255 渡辺恵進 1910-2014 1997-2006 滋賀院門跡 自坊は延暦寺円乗院。岐阜県安八町出身。1910年(明治43年)生。大正大学仏教学部卒。延暦寺副執行・法要部長。叡山学院院長を歴任。延暦寺恵心院住職。滋賀院門跡門主。1991年(平成3年)探題。1997年(平成9年)1月20日天台座主。2006年(平成18年)2月1日、体調不良のため辞任。2014年(平成26年)11月13日死去。104歳。
256 半田孝淳 1917-2015 2006-2015 曼殊院門跡 自坊は信濃・常楽寺。長野県の同寺出身。1917年(大正6年)生。常楽寺住職の半田孝海(善光寺大勧進名誉貫主)の子。1941年(昭和16年)大正大学文学部宗教学科卒。1947年(昭和22年)別所村議会議員。1949年(昭和24年)常楽寺副住職。1961年(昭和36年)3月、常楽寺56世。宗議会議員を経て1978年(昭和53年)から1981年(昭和56年)まで宗派参務・教学部長。1999年(平成11年)宗機顧問。宗機顧問会会長、天台宗国際平和宗教協力協会顧問、一隅を照らす運動顧問など歴任。1983年(昭和58年)戸津説法。1987年(昭和62年)望擬講。同年の「比叡山宗教サミット」の準備に奔走。1999年(平成11年)探題。2004年(平成16年)11月、曼殊院門跡門主。2006年(平成18年)2月1日天台座主。長野県出身の座主は初。3月2日拝堂式。4月26日、伝燈相承式。2009年(平成21年)6月、天台座主として史上初めて高野山金剛峰寺を参拝。2012年(平成24年)全日本仏教会会長。2015年(平成27年)12月14日死去。98歳。全国青少年教化協議会会長、国際仏教興隆協会会長、日本寺竺主5世。叡楽心院と号す。
257 森川宏映 1925-2021 2015-2021 毘沙門堂門跡 自坊は延暦寺真蔵院、のち正観院。愛知県春日井市出身。1925年(大正14年)10月22日生。1936年(昭和11年)6月、得度。1950年(昭和25年)京都大学農学部卒。同年8月6日、真蔵院住職。1964年(昭和39年)延暦寺副執行・営繕部長。1965年(昭和40年)宗議会議員。比叡山高等学校校長、延暦寺学園長、奥比叡ドライブウェイ社長など歴任。1994年(平成6年)11月30日、望擬講。1999年(平成11年)11月19日から2006年(平成18年)11月19日まで毘沙門堂門跡門主。2002年(平成14年)4月18日、擬講。2003年(平成15年)2月20日、已講。2004年(平成16年)9月29日、探題。2013年(平成25年)9月1日、正観院住職。2014年(平成26年)「一隅を照らす運動」会長。2015年(平成27年)12月14日、天台座主・延暦寺住職に就任。2016年(平成28年)4月17日、拝堂式。5月11日伝燈相承式。2021年(令和3年)11月22日死去。96歳。清真誠道院と号す。
258 大樹孝啓 1924- 2021- (書写山円教寺) 円教寺長吏140世。自坊は円教寺仙岳院。1924年(大正13年)6月23日生。1943年(昭和18年)得度。海軍少尉。1945年(昭和20年)大正大学予科卒。1948年(昭和23年)から1965年(昭和40年)まで小学校教諭。1984年(昭和59年)円教寺長吏。1999年(平成11年)戸津説法。2002年(平成14年)望擬講。2003年(平成15年)擬講。2004年(平成16年)已講。2010年(平成22年)探題。2021年(令和3年)11月22日、天台座主・延暦寺住職。昭和以降、門跡寺院の門主を経ずに就任したのは珍しい。

首楞厳院検校

延暦寺横川中堂#組織を参照

無動寺検校

無動寺#組織を参照

執行

執行(しぎょう)は運営の責任者。他本山の執事長、寺務長、執行長などに相当する(部長級を執行と呼ぶ寺院も多いが、延暦寺ではトップを執行と呼ぶ)。宗教法人延暦寺の代表役員でもある。任期3年。延暦寺子院(延暦寺一山)住職の選挙で選ぶ。副執行6人を法務部長、財務部長、教化部長、管理部長、参拝部長、総務部長に任命し、延暦寺内局を組織する。

  • 中村勝契(1855-1927)<1904->:天台座主246世。青蓮院門跡。曼殊院門跡。1904年(明治37年)延暦寺執行。(略歴は#天台座主を参照)
  • 獅子王円純(1858-)<>:自坊は寿量院。1858年(安政5年)生。1917年(大正6年)時点で延暦寺執行。
  • 赤松円麟()<>:1932年(昭和7年)在職。青蓮院門跡。滋賀院門跡?
  • 大森亮順(1878-1950)<1934-1935>:浅草寺住職。1934年(昭和9年)3月8日延暦寺執行。(略歴は浅草寺#組織を参照)
  • 渋谷慈鎧(?-1947)<1935-1935>:天台座主249世。1935年(昭和10年)7月4日、延暦寺執行。
  • 井深観幢()<1935-1938>:滋賀院門跡。1935年(昭和10年)12月3日延暦寺執行。1938年(昭和13年)3月6日執行を辞任。
  • 中山玄秀()<1938->:天台座主250世。1938年(昭和13年)3月7日、延暦寺執行に就任。
  • 即真周湛(1889-1971)<1940->:天台座主251世。1940年(昭和15年)4月20日、延暦寺執行。(略歴は#天台座主を参照)
  • 福恵道暢()<1942->:自坊は延暦寺双厳院。天台宗総務。1942年(昭和17年)10月10日、「延暦寺執行長」に就任。
  • 渡辺恵章()<1943->:自坊は円乗院・唯心院。1943年(昭和18年)6月2日「延暦寺執行」に任命。
  • 清原恵弘()<1944->:1944年(昭和19年)5月23日「延暦寺執行長」に任命。9月30日「延暦寺執行」に任命。
  • 藤枝哲道()<>:
  • ?山田恵諦(1895-1994)<1942->:天台座主253世。1942年(昭和17年)延暦寺執行。?(略歴は#天台座主を参照)
  • 中山玄雄(1902-1977)<>:探題。天台声明の大家として知られた。旧姓は葛野。1902年(明治35年)生。1917年(大正6年)中山玄親(明徳院住職、真正極楽寺貫主)のもとで得度。多紀道忍に声明を学ぶ。1925年(大正14年)比叡山西部大学卒。真乗院、明徳院、法曼院、総持坊の住職を歴任。叡山学院教授、法儀音律研究所所長、天台勧学院院長、天台宗修行院院長、叡山学院院長を歴任。1974年(昭和49年)探題。1977年(昭和52年)5月14日死去。著書『天台声明大成』。
  • 叡南祖賢(1903-1971)<>:戦後初の北嶺大行満大阿闍梨。天台修験道管領。安楽律院住職。赤山禅院住職。自坊は延暦寺律院。千日回峰行を興隆させると共に、延暦寺の経営の面でも制度整備、諸堂修復、里坊整備など多くの業績を残した。(略歴は千日回峰行を参照)
  • 小堀光詮(1922-2013)<1982->:探題。三千院門跡62世。自坊は延暦寺星光院。1982年(昭和57年)延暦寺執行。(略歴は三千院#組織を参照)
  • 誉田玄昭(1915-1999)<-1990->:毘沙門堂門跡門主。自坊は延暦寺法曼院。天台声明の権威。(略歴は毘沙門堂#組織を参照)
  • 小林隆彰(1928-)<1991-1997>:滋賀院門跡門主。自坊は延暦寺千手院。香川県善通寺市出身。1928年(昭和3年)10月生。1938年(昭和13年)得度。1952年(昭和27年)比叡山専修院(叡山学院専修科)卒。1955年(昭和30年)千手院住職。1986年(昭和61年)比叡山宗教サミット準備委員長。宗務庁総務室長。1991年(平成3年)叡山学院院長。同年から1997年(平成9年)まで延暦寺執行。1994年(平成6年)日中韓国際仏教友好交流協議会理事長。2000年(平成12年)から2015年(平成27年)まで奥比叡参詣自動車道社長。2000年(平成12年)から2008年(平成20年)まで延暦寺学問所所長。2006年(平成18年)戸津説法の説法師。延暦寺長臈。天台宗総合研究センター長。2015年(平成27年)4月、滋賀院門跡門主。
  • 清原恵光(1993-)<1997-2003>:自坊は求法寺(延暦寺子院)。1933年(昭和8年)生。大正大学大学院修了。1997年(平成9年)から2003年(平成15年)まで延暦寺執行。天台宗典編纂所副所長。2006年(平成18年)5月28日、延暦寺執行に再任。2008年(平成20年)6月16日任期途中で退任。延暦寺学問所長。叡山学院院長。2010年(平成22年)戸津説法の説法師を務める。2019年(令和1年)7月31日、擬講。
  • 森定慈芳(-2010)<>:自坊は延暦寺華蔵院。延暦寺執行。退任後、2006年(平成18年)、異例の人事で副執行・財務部長。2010年(平成22年)9月21日死去。74歳。
  • 今出川行雲(1937-)<2005-2006>:1937年(昭和12年)生。1960年(昭和35年)立命館大学卒。1962年(昭和37年)叡山学院卒。同年、延暦寺大林院住職。1983年(昭和58年)宗派宗議会議員。1988年(昭和63年)延暦寺副執行。2003年(平成15年)大僧正。2005年(平成17年)延暦寺執行。暴力団法要問題で辞任。2008年(平成20年)比叡山居士林所長。天台宗教誨師会会長。滋賀県教誨師会会長。2016年(平成28年)戸津説法の説法師。
  • 清原恵光()<2006-2008>:2006年(平成18年)5月28日再任。2008年(平成20年)任期途中で退任。
  • 武覚超(1948-)<2008->:自坊は求法寺(延暦寺子院)。武覚円の長男。1948年(昭和23年)生。1970年(昭和45年)大正大学仏教学部卒。1975年(昭和50年)大谷大学大学院修了。叡山学院教授、比叡山幼稚園園長。2008年(平成20年)6月28日延暦寺執行。祖師先徳鑽仰大法会事務局奉行。延暦寺学園理事長。延暦寺長臈。日中韓国際仏教交流協議会理事長。2016年(平成28年)水間寺貫主。釈迦堂輪番。著書は『比叡山仏教の研究』『比叡山諸堂史の研究』『天台教学の研究』など多数。
  • 小堀光実(1953-)<2014-2020>:自坊は延暦寺寂光院。小堀光詮の長男。1953年(昭和28年)生。1976年(昭和51年)大正大学仏教学部卒。1979年(昭和54年)3月、延暦寺3年籠山遂業。4月、寂光院住職。比叡山行院指導員、延暦寺会館副館長、天台宗国際宗教協力協会事務局次長など歴任。1997年(平成9年)延暦寺副執行に就任し、参拝部長。教化部長、管理部長、法務部長。2009年(平成21年)僧正。2014年(平成26年)6月、延暦寺執行。祖師先徳鑚仰大法会事務局奉行。2021年(令和3年)11月1日、三千院門主。
  • 水尾寂芳(1957-)<2020-2023予定>:自坊は延暦寺禅定院。1957年(昭和32年)生。2020年(令和2年)6月28日、延暦寺執行。

経歴法階

経歴法階とは、近代以降、天台座主に就任するまでに取得が必要な僧位のこと。 上から探題、已講、擬講、望擬講の4段階がある。 最高位の探題の中でも最も昇任が早い首座探題(古探題)が自動的に天台座主になるのが現在の天台宗の制度であるが、これは明治3年以降の制度という。 最初の望擬講になるためには戸津説法の説法師を務める必要がある。 戸津説法師になるためには六月会と霜月会で問者・講師を務める。そして浄土院長講会の五役(または三役)を務めたものの中から同日、天台座主が戸津説法師を任命する。 探題集会が説法師を人選し天台座主が望擬講に任命する。 4年に一度、探題集会で望擬講から擬講を選出。 法華大会の前年の別請竪義で擬講は、一の問、二の問、三の問からの質問に答える 擬講は法華大会で中日の法華大会広学竪義の一ノ問の問者を已講の代わりに務める。 法華大会のあと、探題集会で擬講から已講に昇進する。同様に次の法華大会で已講から探題に昇格する。

御修法

勅会

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA」より作成

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