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後一条天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年7月8日 (月)

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吉田山(神楽岡)の端に位置する
後一条天皇菩提樹院陵(国土地理院空中写真より)

京都府京都市左京区吉田神楽岡町にある後一条天皇陵墓菩提樹院陵(ぼだいじゅいんのみささぎ)。後一条天皇は1036年(長元9年)に崩御し、神楽岡の東麓で火葬された。葬儀の様子は『左経記』に詳しく記されている。いったん京都・浄土寺に遺骨を納められたが、母の上東門院藤原彰子が菩提樹院を火葬所に創建し、そこに御堂が建立され、陵墓となった。文久の修陵で現在地が「御火所」とされ整備された。1889年(明治22年)もともと火葬塚として指定していたところを、陵と指定した。現在地の円墳は、寺院跡としては不自然だという。(文久山陵図230)

大元宮周辺(国土地理院空中写真より)
吉田山周辺(国土地理院空中写真より)


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