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後嵯峨天皇陵
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年8月26日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
京都府京都市右京区にある後嵯峨天皇の陵墓。亀山天皇陵とともに天龍寺内にある。浄金剛院の跡地。
歴史
後嵯峨天皇は、亀山殿の別院薬草院で火葬され、亀山殿付属の浄金剛院に法華堂が建立されて納骨された。亀山天皇も亀山殿の裏山で火葬され、同法華堂に納骨された。浄金剛院の古図には法華堂が記されている(天龍寺蔵『山城国嵯峨亀山殿近辺屋敷地指図』)。しかし、足利尊氏による天龍寺創建により、亀山殿跡地周辺は大幅に区画整理をされ、浄金剛院も廃絶し、陵墓は所在不明となった。
幕末、文久の修陵に際して、谷森善臣は地名から考証して、陵墓旧地を確定した。同地にあった舎利殿と経蔵を撤去し、新たに法華堂2堂を建立し、「浄金剛院法華堂」と称した。明治39年(1906)3月23日、従来、「嵯峨殿法華堂」「亀山殿法華堂」と称してきたが、それぞれ「嵯峨陵」「亀山陵」と改称した(明治天皇紀)。「嵯峨陵」はのち「嵯峨南陵」と改称された。
後嵯峨天皇・亀山天皇の火葬塚が天龍寺の西側の地に治定されている。文久の修陵で区画化され、周堀と外堤が造営された。しかし、両天皇が火葬された場所は本来は別の場所であったはずであるという(文久山陵図227)。