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得浄明院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[ファイル:得浄明院4.jpeg|thumb|500px|葵紋で飾られた得浄明院の本堂の屋根]] '''得浄明院'''(とくじょうみょういん)は、京都府京都市東山区林下町にある、[[善光寺信仰]]の[[浄土宗]]尼僧寺院。本尊は[[善光寺如来]]。長野県[[善光寺]][[大本願]]の京都別院。[[浄土宗知恩院派]]の特別寺院。知恩院宮の華頂殿の跡地。山号は本覚山。 *1882年(明治15年)6月、[[知恩院門跡]]([[華頂宮家]])の御殿「華頂殿」の跡地が、[[善光寺大本願]]117世の誓円に寄進されたことに端を発す。 *1894年(明治27年)9月に京都別院として創建された(1901年(明治34年)4月とも。新纂浄土宗大辞典年表)。 *1925年(大正14年)2月13日、特別寺院に指定(新纂浄土宗大辞典年表)。 *1969年(昭和44年)9月23日、特別寺院に指定(新纂浄土宗大辞典年表。浄土宗近代百年史年表では29日)。 本堂は信濃善光寺を模したつくりで、一光三尊阿弥陀如来の分身を祀り、下層には戒壇廻りを備えている。 また[[本田善光]]、弥生前、本田善佐を三公尊として祀る。本堂外陣の「得浄明院」額は[[山階宮]]晃親王筆によるもの。 『知恩院史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1221544/1/273] ==組織== ===歴代住職=== *1久我誓円(1828-1910)<1894?-1910>:[[善光寺大本願]]117世。[[伏見宮]]邦家親王第三王女。明治維新で皇族の僧職が許されず、[[久我家]]に入る。善光寺上人9世。[[青山善光寺]]、[[和光寺]]を兼務。1910年(明治43年)得浄明院で死去。墓所は[[一心院]]と[[善光寺]]。得浄明院殿本蓮社大僧正覚誉上人順阿智鏡誓円大法尼。(略歴は[[善光寺大本願#組織]]を参照) *近藤正道()<>:尼僧。自坊は名古屋聴性院。短期間の在職か[https://dl.ndl.go.jp/pid/971064/1/97]] *二条誓康(1903-1953)<>:二条家(分家。男爵)の二条正麿の子。本家(公爵)二条基弘の養女。二条康子。1903年(明治36年)生。和光寺を兼務。1953年(昭和28年)5月23日死去。50歳。 *伏見誓寛(1938-)<>:二条誓康の弟子。1959年(昭和34年)4月26日和光寺晋山。[[三時知恩寺門跡]]も兼務。 ==画像== <gallery widths="300" heights="300" perrow="3"> file:得浄明院1.jpeg| file:得浄明院2.jpeg| file:得浄明院3.jpeg| file:得浄明院4.jpeg| file:得浄明院5.jpeg| file:得浄明院6.jpeg| file:得浄明院7.jpeg| file:得浄明院8.jpeg| </gallery> [[category:京都府]]
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