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得長寿院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
得長寿院
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[[file:平安京復元模型・平安京創生館・岡崎-得長寿院.jpg|thumb|500px|得長寿院(平安京復元模型・平安京創生館展示)]] '''得長寿院'''(とくちょうじゅいん)は、[[平安京]]郊外の[[白河殿]]に付属した[[鳥羽上皇]]の[[御願寺]]。[[京都・尊勝寺]]の西側、白河南殿の東側にあった。[[平忠盛]]が造営した[[観音堂]]があり、東山の[[蓮華王院]]と同じ規模を持つ巨大な[[三十三間堂]]だった。中央に丈六観音を祀り、左右に500体ずつの観音像を並べた。長承元年(1132)3月13日に落慶。忠盛はこの功績で昇殿が許され、平氏一門の政界進出のきっかけになった。文治元年(1185)7月の地震で伽藍倒壊。再建されることなく、衰退し廃絶した。観音像の一部は蓮華王院に移されたが、火災で焼失した。 発掘調査で建物の遺構が確認されているが、三十三間堂の跡は未確認。徳成橋の南端西側の冷泉通沿に跡地を示す石碑がある。 (国史大辞典、日本歴史地名大系) [[category:京都府]]
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