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御影堂新善光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''新善光寺'''(しんぜんこうじ)は、滋賀県長浜市西上坂町出雲にある、皇族ゆかりの[[時宗]]寺院。本尊は阿弥陀如来。元は京都市にあり、かつての[[時宗御影堂派]]の拠点寺院。近代の[[時宗の本山寺院|別格本寺]]。[[善光寺信仰]]。通称は'''御影堂'''、'''御影堂新善光寺'''、'''五条道場'''。
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[[file:B9192D5F-47D1-43E5-B0F0-189F7E1BD640.jpeg|thumb|400px|京都五条の旧地付近にある「扇塚」]]
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'''新善光寺'''(しんぜんこうじ)は、滋賀県長浜市西上坂町出雲にある、皇族ゆかりの[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。元は京都市にあり、かつての[[時宗御影堂派]]の拠点寺院。近代の[[時宗の本山寺院|別格本寺]]。[[善光寺信仰]]。通称は'''御影堂'''、'''御影堂新善光寺'''、'''五条道場'''。
== 歴史 ==
== 歴史 ==
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824年、[[檀林皇后]]が[[空海]]を開山として嵯峨に創建。
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824年(天長1年)、[[檀林皇后]]が[[空海]]を開山として嵯峨に創建。
東洞院春日に移転。
東洞院春日に移転。
東河原院に移転した時、[[善光寺如来]]を奉安したので新善光寺と称した。
東河原院に移転した時、[[善光寺如来]]を奉安したので新善光寺と称した。
正応年間、[[後嵯峨天皇]]皇子で[[一遍]]門下の王阿(応阿)が中興。王阿は[[心地覚心]]にも師事。一遍自作の像を祀った。
正応年間、[[後嵯峨天皇]]皇子で[[一遍]]門下の王阿(応阿)が中興。王阿は[[心地覚心]]にも師事。一遍自作の像を祀った。
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1421年秋に佐女牛室町北、、綾小路河東、1528年(1529年とも)新町通五条町北(下京区御影町)と移転。
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1421年(応永28年)秋に佐女牛室町北、綾小路河東、1528年(享禄1年)(1529年(享禄2年)とも)新町通五条町北(下京区御影町)と移転。
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1587年、五条大橋の西端、現在の下京区御影堂町に移転。
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1587年(天正15年)、五条大橋の西端、現在の下京区御影堂町に移転。
江戸時代、寺の尼が作った扇は「阿古女扇」「袙扇」「御影堂扇」として知られた。扇の起源は平敦盛の妻の蓮華院生一如仏が出家して作り始めたという。
江戸時代、寺の尼が作った扇は「阿古女扇」「袙扇」「御影堂扇」として知られた。扇の起源は平敦盛の妻の蓮華院生一如仏が出家して作り始めたという。
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1864年、幕末の兵火で焼失。
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1864年(元治1年)、幕末の兵火で焼失。
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1894年再建。
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1894年(明治27年)再建。
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1945年3月、戦時下の道路建設のため滋賀県に移転。
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1945年(昭和20年)3月、戦時下の道路建設のため滋賀県に移転。
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1960年、旧地近くに扇塚が建てられた。
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1960年(昭和35年)、旧地近くに扇塚が建てられた。
『一遍上人絵伝』御影堂本を所蔵していた。
『一遍上人絵伝』御影堂本を所蔵していた。
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==子院==
==子院==
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1697年の『国花万葉記』によると以下を「寺中」として記す。
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1697年(元禄10年)の『国花万葉記』によると以下を「寺中」として記す。
*香阿弥:
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*珠阿弥:長林房
*珠阿弥:長林房
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*『時宗王阿派本末牒』
*『時宗王阿派本末牒』
===文献===
===文献===
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*古賀克彦1997「時宗御影堂派本山新善光寺の研究ー新出史料も兼ねて」
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*古賀克彦1997「時宗御影堂派本山新善光寺の研究:新出史料も兼ねて」
[[category:京都府]]
[[category:京都府]]
[[category:滋賀県]]
[[category:滋賀県]]

2021年8月1日 (日) 時点における版

京都五条の旧地付近にある「扇塚」

新善光寺(しんぜんこうじ)は、滋賀県長浜市西上坂町出雲にある、皇族ゆかりの時宗寺院。本尊は阿弥陀如来。元は京都市にあり、かつての時宗御影堂派の拠点寺院。近代の別格本寺善光寺信仰。通称は御影堂御影堂新善光寺五条道場

目次

歴史

824年(天長1年)、檀林皇后空海を開山として嵯峨に創建。 東洞院春日に移転。 東河原院に移転した時、善光寺如来を奉安したので新善光寺と称した。 正応年間、後嵯峨天皇皇子で一遍門下の王阿(応阿)が中興。王阿は心地覚心にも師事。一遍自作の像を祀った。 1421年(応永28年)秋に佐女牛室町北、綾小路河東、1528年(享禄1年)(1529年(享禄2年)とも)新町通五条町北(下京区御影町)と移転。 1587年(天正15年)、五条大橋の西端、現在の下京区御影堂町に移転。 江戸時代、寺の尼が作った扇は「阿古女扇」「袙扇」「御影堂扇」として知られた。扇の起源は平敦盛の妻の蓮華院生一如仏が出家して作り始めたという。

1864年(元治1年)、幕末の兵火で焼失。 1894年(明治27年)再建。 1945年(昭和20年)3月、戦時下の道路建設のため滋賀県に移転。 1960年(昭和35年)、旧地近くに扇塚が建てられた。

『一遍上人絵伝』御影堂本を所蔵していた。 (『日本歴史地名大系』『国史大辞典』)

子院

1697年(元禄10年)の『国花万葉記』によると以下を「寺中」として記す。

  • 香阿弥:
  • 珠阿弥:長林房
  • 龍阿弥:
  • 仙阿弥:
  • 由阿弥:
  • 文阿弥:
  • 来阿弥:
  • 一阿弥:
  • 樹阿弥:
  • 善阿弥:
  • 乗阿弥:柳林房
  • 重阿弥:桐林房
  • 林阿弥:
  • 直阿弥:室樹軒
  • 庭阿弥:

資料

古典籍

  • 『京御影堂新善光寺略縁起』
  • 『古事類苑』「新善光寺」
  • 『時宗王阿派本末牒』

文献

  • 古賀克彦1997「時宗御影堂派本山新善光寺の研究:新出史料も兼ねて」
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BE%A1%E5%BD%B1%E5%A0%82%E6%96%B0%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

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