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忍性旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
忍性旧跡
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'''忍性'''(にんしょう)(1217-1303)は、[[真言律宗]][[西大寺流]]の僧侶。大和出身。伴氏。[[叡尊]]、[[覚盛]]に師事。[[鎌倉・極楽寺]]を創建。[[四天王寺]]別当。'''忍性菩薩'''。 == 一覧 == ===大和=== *[[大和・浄土寺]]:生誕地の石碑を管理 *[[朝護孫子寺]]:11歳の時、信貴山で仏教徒に学ぶ。 *[[額安寺]]:出家した寺院 *[[大和・竹林寺]]:行基の墓。青年時代の6年間毎月参詣。 *[[安倍文殊院]]:母の弔いのため、毎月参詣。 *[[西大寺]]:叡尊に師事。 *[[唐招提寺]]:永仁6年(1298)、忍性が『東征伝絵巻』を奉納。 *[[大和・般若寺]]:文殊菩薩像を造立。 ===関東=== *[[鹿島神宮]]:建長4年(1252)、3日間参籠。 *[[常陸・極楽寺]]:建長4年(1252)、忍性が入る。筑波山の南尾根の宝筐山にあった。廃絶。最初の拠点。'''三村寺'''。 *[[常陸・般若寺]]:建長年間、忍性が入る。 *[[東城寺]]:筑波山南の宝篋山にある。記録はないが極楽寺や般若寺と類似したまま結界石が残り、忍性の関与は疑いないという。 *観音寺:茨城県行方市。寺伝によると文応元年(1260)に忍性が中興。 *福泉寺:茨城県鉾田市。忍性との関わりが想定される清涼寺式釈迦如来像を本尊とする。 *[[鎌倉・新清凉寺]]:弘長元年(1261)の鎌倉入りの時に最初に住んだ釈迦堂がここと言われる。 *[[多宝寺]]:弘長2年(1262)から5年間住む。 *[[鎌倉・極楽寺]]:文永4年(1267)、死去まで過ごした鎌倉の拠点。 *[[江ノ島]]:文永6年(1269)、祈雨。 *[[椎尾山宝塔]]:茨城県桜川市。弘安元年(1278)に建立。 *[[鎌倉・永福寺]]:二階堂。弘安7年(1284)、永福寺別当となる。 *[[鎌倉・明王院]]:五大堂。弘安7年(1284)、明王院別当となる。 *[[高徳院]]:鎌倉大仏。弘安7年(1284)、大仏別当となる。 *[[称名寺]]:忍性の推薦で、審海が入る。 *[[薬王院]] *[[浄光明寺]] 近畿の律寺古刹34寺が忍性の請願で[[関東御祈祷所]]に指定された。 ===近畿=== *[[多田院]]:建治元年(1275)10月、多田院別当となる。忍性は鎌倉にいる。 *[[石清水八幡宮]]:永仁元年(1293)4月、異国降伏の祈祷。 *[[東大寺]]:永仁元年(1293)8月、東大寺大勧進第14代を務める。 *[[四天王寺]]:永仁2年(1294)、四天王寺別当となる。 ==参考文献== *図録『忍性』 [[category:人物旧跡]]
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