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忠魂祠堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月3日 (木)

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広島忠魂祠堂

忠魂祠堂(ちゅうこんしどう)は、日清戦争後に浄土宗知恩院派が師団鎮守府ごとに設置した仏教式の戦没者祭祀施設である。不明な点が多い。日本の各宗派の中でも招魂社のような施設の設置を教団規模で進めたのは浄土宗の他にない。日本政府が府県ごとに指定護国神社を設置を始めたのは昭和以降のことであり、浄土宗の計画はそれよりも早い。宗教行政上は仏堂に位置付けられていたようだ。

一覧

名称 所在地 コメント
東京忠魂祠堂 東京都港区芝公園4丁目 明治37年5月16日、大日本宗教家大会が開かれている
横須賀忠魂祠堂 神奈川県横須賀市衣笠栄町1丁目51番地 明治33年10月28日、大勝利山に創建。足柄下郡芦子村の天栄寺を移築。関東大震災により倒壊。昭和12年2月6日、浄土宗光心寺に再建。(『三浦半島の軍事施設』[1]より)
仙台忠魂祠堂 宮城県仙台市若林区荒町(不詳) 1898年(明治31年)11月25日創建。(『仙台市史』)
金沢忠魂祠堂 石川県金沢市観音町3 本尊は阿弥陀如来。卯辰山にあった。明治31年10月竣工。有栖川宮熾仁親王および北白川宮能久親王、戦死病没者の位牌を祀っていたという。昭和26年、復興途上の不動寺の本堂として移築された。(和田文次郎 明治37年『金沢明覧』北光社20頁、津幡町ウェブサイト)[2]
名古屋忠魂祠堂 愛知県名古屋市東区筒井3丁目2-35 明治34年、浄土宗学愛知支校(現・東海学園)内に創建。明治45年9月23日、暴風雨により倒壊。大正2年再建。大正5年、明昭殿と改称。昭和22年、明照殿と改称した。昭和55年改築。(東海中学校・東海高等学校ウェブサイト、昭和63年『浄土宗新聞』260号6面)
大阪忠魂祠堂 大阪府大阪市天王寺区上之宮町 明治35年、浄土宗第六教区宗学教校(現・上宮学園)内に創建。同校の講堂も兼ねる。(平成2年『浄土宗新聞』285号6面)
広島忠魂祠堂 広島県広島市南区大須賀町 本尊は阿弥陀如来である。白石尭海が日清戦争後に創建を提唱した。明治29年4月14日認可を受けて、31年10月14日、創建。35年7月20日、愛媛県松山市の忠魂祠堂を合併。(広島市役所、大正13年『広島市史』広島市役所、405頁)
呉忠魂祠堂 広島県呉市寺本町2-1 明治28年、創建。檀徒急増により、明治36年に大阪の法王山西方院正覚寺を遷して、正式な寺院としたという。(正覚寺ウェブサイト)
小倉忠魂祠堂 福岡県北九州市小倉南区城野(不詳) 『企救郡誌』[3]
熊本忠魂祠堂 熊本県熊本市九品寺3丁目1-1 明治31年ごろ、浄土宗学鎮西支校(現・鎮西高校)が境内に移転。昭和初期に廃絶となったらしい。(昭和63年『浄土宗新聞』261号7面)


資料

  • 1902『浄土宗寺院名鑑』「忠魂祠堂所在地名」[4]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BF%A0%E9%AD%82%E7%A5%A0%E5%A0%82」より作成

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