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恋塚寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月26日 (月)
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'''恋塚寺'''(こいづかでら)は京都府京都市伏見区下鳥羽城ノ越町にある[[文覚]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。'''恋塚'''と呼ばれる袈裟御前の墓(宝篋印塔)がある。[[浄土宗知恩院派]]。山号は利剣山。 | '''恋塚寺'''(こいづかでら)は京都府京都市伏見区下鳥羽城ノ越町にある[[文覚]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。'''恋塚'''と呼ばれる袈裟御前の墓(宝篋印塔)がある。[[浄土宗知恩院派]]。山号は利剣山。 | ||
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平安時代の末期、[[鳥羽天皇]]皇女の上西門院に仕えた遠藤盛遠(生没年不詳)が、同僚の渡辺渡の妻であった袈裟御前(阿都磨)に横恋慕した。渡を殺して袈裟御前を奪うつもりが誤って彼女自身を殺害してしまった。盛遠は自分の行いを恥じて出家し文覚と名乗り、彼女の菩提寺として創建したのが恋塚寺だという。文覚は[[真言宗]]の僧侶だが、恋塚寺は浄土宗となっている。本堂には、文覚、袈裟御前、渡辺渡の木像も祀られている。(現地解説板ほか) | 平安時代の末期、[[鳥羽天皇]]皇女の上西門院に仕えた遠藤盛遠(生没年不詳)が、同僚の渡辺渡の妻であった袈裟御前(阿都磨)に横恋慕した。渡を殺して袈裟御前を奪うつもりが誤って彼女自身を殺害してしまった。盛遠は自分の行いを恥じて出家し文覚と名乗り、彼女の菩提寺として創建したのが恋塚寺だという。文覚は[[真言宗]]の僧侶だが、恋塚寺は浄土宗となっている。本堂には、文覚、袈裟御前、渡辺渡の木像も祀られている。(現地解説板ほか) | ||
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2019年8月26日 (月) 時点における最新版
恋塚寺(こいづかでら)は京都府京都市伏見区下鳥羽城ノ越町にある文覚ゆかりの浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。恋塚と呼ばれる袈裟御前の墓(宝篋印塔)がある。浄土宗知恩院派。山号は利剣山。
平安時代の末期、鳥羽天皇皇女の上西門院に仕えた遠藤盛遠(生没年不詳)が、同僚の渡辺渡の妻であった袈裟御前(阿都磨)に横恋慕した。渡を殺して袈裟御前を奪うつもりが誤って彼女自身を殺害してしまった。盛遠は自分の行いを恥じて出家し文覚と名乗り、彼女の菩提寺として創建したのが恋塚寺だという。文覚は真言宗の僧侶だが、恋塚寺は浄土宗となっている。本堂には、文覚、袈裟御前、渡辺渡の木像も祀られている。(現地解説板ほか)