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惇子内親王墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年10月3日 (月)
三重県多気郡明和町有爾中(伊勢国多気郡)にある斎王惇子内親王(1158-1172)の墓。治定外。古墳名は発シ古墳。有爾中の共同墓地に隣接する。惇子内親王は後白河天皇皇女で堀川斎宮と呼ばれた。異母弟の高倉天皇の即位で斎王となり1170年に伊勢に下った。、15歳で斎宮で病死した。 明治の陵墓調査で1883年、この地が墓所に比定された(正式には採用されなかった?)。近くにある「堀川溝」という地名が斎王の通称に結び付くと考えられたためだった。 しかし、堀川斎宮の通称は生母の堀川殿の名前に由来し、この塚の古墳時代後期の群集墳と考えられている。1983年、斎宮顕彰史を物語るものとして町史跡に指定。(現地解説板、『日本歴史地名大系』)