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愛知県護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年6月24日 (土)

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創建時の「哀些忠勇戦死碑」と「旌忠社」銘の灯籠

愛知県護国神社(あいちけん・ごこくじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区三の丸にある、県内の戦没者などを祀る招魂社官祭招魂社内務大臣指定護国神社神社本庁別表神社。旧称は旌忠社名古屋招魂社。占領期の名称は愛知神社

目次

祭神

「哀些忠勇戦死碑」
  • 創建時:25柱
  • 戦後:9万2195柱(『百年史』)

創建時の祭神

  • 野崎弥七郎知兼:1868年(明治1年)5月10日、越後国榎峠で戦死。墳墓は一宮吉祥寺(吉蔵寺)にあるという。
  • 佐藤九郎三郎宣準:1868年(明治1年)5月3日、越後国鴻巣で戦死。墳墓は越後国片見村浄照寺にあるという。
  • 津金甲太有義:1868年(明治1年)8月21日、岩代国駒ケ峰で戦死。墳墓は岩代国元中村城下長松寺にあるという。
  • 伊藤又十郎宗丘:1868年(明治1年)5月11日、越後国鴻巣で戦死。墳墓は小千谷専正寺にあるという。
  • 森周次郎茂:1868年(明治1年)6月3日、越後国鴻巣で戦死。墳墓は小千谷専正寺にあるという。
  • 船橋作兵衛定信:森と同じ。
  • 徳田等広郷:森と同じ。
  • 本多又蔵保義:佐藤と同じ。
  • 三尾文十郎夏風:佐藤と同じ。
  • 三宅清三郎高次:佐藤と同じ。
  • 佐光次郎直行:佐藤と同じ。
  • 岩田鎌三郎正利:牧と同じ。(別説では越後国鴻巣で戦死し、墓所は専正寺ともいう。)
  • 後藤桑吉仲一:牧と同じ。(別説では越後国鴻巣で戦死し、墓所は専正寺ともいう。)
  • 牧新次郎清成:1868年(明治1年)8月12日、下総国船橋宿で戦死。墳墓は船橋浄勝寺にあるという。
  • 中島吉三郎正秀:牧と同じ。
  • 佐久間禅説建男:牧と同じ。
  • 金四郎:牧と同じ。
  • 小十:牧と同じ。
  • 作十:1868年(明治1年)4月27日、越後国小出島で戦死。墳墓は越後国堀之内願念寺にあるという。
  • 菊治:佐藤と同じ。
  • 木村久七:作十と同じ。(別説では越後国榎峠で戦死し、墳墓は中子村了明寺という)
  • 富田竹次郎:森と同じ。
  • 吉田利左衛門:森と同じ。
  • 太吉:森と同じ。
  • 中川亀次郎:1868年(明治1年)4月26日、越後国雪峠で戦死。墳墓は信濃国松代の正覚寺にあるという。
  • 与助:森と同じ。25柱に入らず。行方不明だったがその後生還したともいう。

歴史

本殿
霊殿
「愛知神社」時代の社標

1867年(慶応3年)11月、尾張藩主徳川慶勝はすでに国事殉難者を祀る神社の創建を朝廷に建白していた。1868年(明治1年)12月、慶勝は尾張藩下屋敷脇の練武場で戊辰戦争の戦死者の招魂祭を行い、翌年5月2日に川名山(現在の聖霊病院の地。石碑あり)に社殿を建てて戦死者25名を祀り、「旌忠社」と称した。その後、社名は「招魂社」に改称された。大正天皇が即位礼のための京都行幸のときに名古屋離宮に泊まった際の賢所奉安殿が下賜され、1918年(大正7年)4月に城北練兵場(現・名城公園。時計塔の位置。)に移築して、遷座した。1935年(昭和10年)4月9日には現在地に遷座した。 第3師団と表忠会の両者が合同で招魂祭を行ってきた。

1939年(昭和14年)、内務大臣指定の「愛知県護国神社」となった。1945年(昭和20年)3月、戦災により社殿焼失し、仮殿に遷座した。占領期は「愛知神社」と称した。1958年(昭和33年)11月6日に現在の社殿が建てられ、遷座した。1998年(平成10年)に舞殿神門が竣工した。

例祭は春のみたま祭(4月28日~30日)と秋のみたま祭(10月28日~30日)がある。また4月27日に霊璽簿奉安祭が行われる。 節分には太玉柱祭を行っている。8月15日には献水祭、8月16日には献灯祭が行われる。毎月1日と15日に月次祭を行っている。 隣接して桜華会館(愛知県遺族連合会・愛知県旧軍人恩給連合会・戦争に関する資料館調査会などの事務所がある)、愛知平和記念館がある。


  • 1867年(慶応3年)11月:尾張藩主徳川慶勝、楠公社造営と国事殉難者祭祀神社造営を建白(『招魂社成立史の研究』)
  • 1868年(明治1年)12月23-34日:前名古屋藩主徳川慶勝、尾張藩下屋敷脇の練武場(東区布池電停東北)において戊辰戦争戦死者26柱の招魂祭を行う。(創建時より1柱多い)(『愛知県護国神社百年史』24)
  • 1869年(明治2年)5月2日:前名古屋藩主徳川慶勝、愛知郡川名村(名古屋市昭和区川名山町)に「旌忠社」を創建。戊辰戦争戦死者25柱を祀る。翌日祭典を行った。5月3日は初めて名古屋藩が戦死者を出した日。80石寄進。(『靖国神社百年史』『愛知県護国神社百年史』94)
  • 1871年(明治4年):廃藩置県。事実上、名古屋徳川家が管理をする。
  • 1874年(明治7年)3月:官費支給(『愛知県護国神社百年史』29)
  • 1875年(明治8年)9月:戊辰戦争戦死者、猪股一三二治綱を合祀(『愛知県護国神社百年史』)
  • 1875年(明治8年)10月13日:「招魂社」と改称。『神道史大辞典』では11月(『靖国神社百年史』)
  • 1877年(明治10年)9月:佐賀の乱戦死者、江口照秀を合祀(『愛知県護国神社百年史』)
  • 1878年(明治11年)10月:明治天皇、巡幸の際に祭祀料下賜。
  • 1901年(明治34年)6月:「官祭」を明示し「官祭招魂社」となる。(『神道史大辞典』)
  • 1895年(明治28年):従来、第3師団が名古屋城で西南戦争戦没者の祭祀をおこなってきたが、代わってその主催者として表忠会が組織された(『愛知県護国神社百年史』)
  • 1909年(明治42年):表忠会、北練兵場の弁天森の一画に西南戦争日清戦争の慰霊碑を移築、日露戦争の慰霊碑を新設。(『愛知県護国神社百年史』89)
  • 1910年(明治43年)11月18日:皇太子(大正天皇)行啓にあたり代拝。幣帛料。
  • 1917年(大正6年)5月10日:愛知県、指令社第854号にて移転許可。旧地も飛び地境内。きっかけは名古屋離宮賢所奉安殿が愛知県に下賜されたことによる。それを表忠会が譲り受けた。これまでは表忠会と招魂社の関係は薄かった(『愛知県護国神社百年史』91)
  • 1918年(大正7年)1月:起工。
  • 1918年(大正7年)4月27日:第3師団城北練兵場(現・名城公園)内に遷座。翌日、第3師団尾張部の西南戦争以来の4844柱(3185柱?)合祀。以後毎年4月30日に師団主催の臨時招魂祭、県出身者以外もまつる。(『靖国神社百年史』・『愛知県護国神社百年史』92)
  • 1920年(大正9年)4月29日:95柱合祀
  • 1921年(大正10年)4月29日:12柱合祀。
  • 1925年(大正14年)4月27日:愛知県、指令社第597号で、第一次大戦関係の戦没者で本年4月に靖国神社に合祀された愛知県出身者を招魂社に合祀することを許可。29日、30柱を合祀。
  • 1926年(昭和1年)4月27日:愛知県、指令第610号で、1869年(明治2年)から1921年(大正10年)までに靖国神社に合祀された「三河部内」の戦没者を合祀することを許可。29日、1487柱を合祀。
  • 1928年(昭和3年):昭和大礼に際して建てられた名古屋離宮賢所正門を下付された。
  • 1929年(昭和4年)6月5日:17柱を合祀。
  • 1931年(昭和6年)10月:移転を決定。この頃、国庫供進金58円50銭、徳川家祭祀料25円10銭。
  • 1932年(昭和7年)2月:第3師団、県知事、名古屋市長、名古屋商工会議所会頭、町村会副会長の連名の寄付願を発表。
  • 1933年(昭和8年)4月17日:愛知県、1929年(昭和4年)6月以降に靖国神社に合祀された愛知県出身者の合祀を許可(社兵第831号)。
  • 1935年(昭和10年)4月9日:現在地に遷座。(『靖国神社百年史』)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:内務大臣指定の「愛知県護国神社」となる。
  • 1945年(昭和20年)3月19日:社殿焼失。仮殿に遷座。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1947年(昭和22年)10月:例祭日変更。4/28-30 10/28-30(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1947年(昭和22年)12月29日:愛知神社(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1953年(昭和28年)7月:愛知神社造営会(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1955年(昭和30年)4月13日:「愛知県護国神社」に復称(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1957年(昭和32年)6月10日:別表神社に加列(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1958年(昭和33年)11月6日:社殿復興、本殿遷座祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)9月15日:池田首相参拝(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)10月28日:合祀概了奉告臨時大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1962年(昭和37年)10月26日:天皇皇后、参拝(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)10月28日:終戦20周年臨時大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1969年(昭和44年)6月6日:愛知県護国神社奉賛会、設立(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1969年(昭和44年)10月27日:鎮座100年大祭(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1975年(昭和50年)10月:終戦30周年臨時奉幣祭(神社ウェブサイト)
  • 1979年(昭和54年)6月:臨時奉幣祭斎行(県下行幸啓)(神社ウェブサイト)
  • 1982年(昭和57年)10月:社務所竣工(神社ウェブサイト)
  • 1985年(昭和60年)10月:幣帛料御奉納、終戦40周年臨時奉幣祭・遷座50周年祭(神社ウェブサイト)
  • 1989年(平成1年)10月:鎮座120年大祭(神社ウェブサイト)
  • 1989年(平成1年):名城公園の旧地に記念の時計塔を建立。
  • 1991年(平成3年)10月:幣饌料御奉納(県下行幸啓)(神社ウェブサイト)
  • 1992年(平成4年)10月:本殿還座祭。屋根葺き替え(神社ウェブサイト)
  • 1994年(平成6年)10月:幣饌料御奉納(県下行幸啓)(神社ウェブサイト)
  • 1995年(平成7年)10日:幣饌料御奉納、終戦50周年臨時奉幣祭 (神社ウェブサイト)
  • 1998年(平成10年)3月:神門・舞殿・廻廊が竣工(神社ウェブサイト)
  • 1999年(平成11年)10月:鎮座130年大祭斎行(神社ウェブサイト)
  • 1999年(平成11年)12月:「旌忠社」跡地に石碑を建立。(神社ウェブサイト)
  • 2005年(平成17年)10月:終戦60周年臨時奉幣祭(神社ウェブサイト)

境内

組織

受持神官

官祭招魂社制度ができる以前は若宮八幡社の氷室長冬、稲荷神社の安井重恭、川原神社の水谷民彦、島田清江、熱田神宮禰宜の松岡義男(1890年(明治23年)3月20日招魂社祠官を兼務)らが奉仕していた。

  • 副島知一(1874-1959)<1915->:1915年(大正4年)3月、熱田神宮権宮司を本務として受持神官。
  • 鈴木信比古(?-1921)<1915-1921>:伊多波刀神社、若宮八幡社、那古野神社などに奉職。八事神葬墓地を開設。名古屋市神職会会長。1915年(大正4年)9月、受持神官。1921年(大正10年)死去。同年4月の合祀祭は中村弾男が臨時祭務官を勤める。神道人名辞典に記載あり?
  • 浅井久()<1921->:1921年(大正10年)9月1日、受持神官。
  • 小林太十郎()<>:1929年(昭和4年)5月14日、真清田神社宮司が受持神官代行。大県神社宮司。
  • 野々山彬(1876-1942)<1930-1939>:次項参照。

社司・宮司

  • 野々山彬(1876-1942)<1939-1942>:1876年(明治9年)生。1902年(明治35年)12月18日、春木春日神社社掌。1907年(明治40年)6月7日、津賀田神社社司。1930年(昭和5年)3月28日、名古屋官祭招魂社受持神官。1939年(昭和14年)4月1日、愛知県護国神社社司に就任。1942年(昭和17年)12月10日死去。(叙位裁可書。ただし招魂社・護国神社の経歴は神祇院提出の叙位裁可書には記載されていない)
  • 慶光院俊(1974-1985)<1941-1942>:1941年(昭和16年)8月2日、熱田神宮権宮司を本務として社司就任。1942年(昭和17年)3月19日、社司退任。
  • 篠田康雄(1908-1997)<1942->:1942年(昭和17年)3月19日、熱田神宮権宮司を本務として社司を兼務。
  • 井上信彦(1901-1986)<1946-1985>:愛知県西春日井郡出身。1901年(明治34年)生。愛知県神職養成部卒。1919年(大正8年)、熱田神宮雇。宮掌、主典を経て1937年(昭和12年)砥鹿神社禰宜。1941年(昭和16年)、愛知県護国神社社掌。1946年(昭和21年)5月15日宮司就任。名塚町白山社宮司を兼務。1985年(昭和60年)9月1日退任。1986年(昭和61年)○月2日死去。遺稿集『偲び草 愛知県護国神社名誉宮司井上信彦大人命を偲んで』がある。
  • 岩本典三郎(1915-2000)<1985-1999>:1915年(大正4年)生。1985年(昭和60年)9月1日就任。1999年(平成11年)2月28日退任。2000年(平成12年)死去。遺詠集『旌忠歌集―岩本典三郎宮司遺詠』がある。
  • 臼井貞光()<1999-2013>:1999年(平成11年)3月1日宮司就任。2013年(平成25年)8月31日退任。
  • 高羽伸浩()<2013->:2013年(平成25年)9月1日就任。

(愛知県護国神社年表ほか)

画像

資料

  • 西秀成2019「『書類綴 官祭招魂社 自明治四十二年 至昭和十一年』について」[1]
  • 西秀成2020「愛知縣護國神社資料『回議録 自昭和十六年 至昭和廿四年 愛知神社』について」[2]
  • 『愛知県護国神社百年史』
  • 『愛知県護国神社年表』
  • 『愛知県の御英霊奉斎の歴史』
  • 『旌忠社』
  • 『愛知県下英霊社忠魂碑等調査報告書』
  • 『愛知縣護國神社略記』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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