ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

慈光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成:「'''慈光寺'''(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある観音信仰天台宗寺院。坂東三十三所観音霊場の第9番札...」)
1行: 1行:
-
'''慈光寺'''(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[坂東三十三所観音霊場]]の第9番札所。本尊は'''十一面千手千眼観世音菩薩'''[[天台宗延暦寺派]]。[[修験]]の寺でもあった。'''都幾山慈光寺'''。
+
'''慈光寺'''(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[坂東三十三所観音霊場]]の第9番札所。本尊は'''十一面千手千眼観世音菩薩'''。近隣の[[武蔵・安楽寺|安楽寺]]、[[武蔵・正法寺|正法寺]]とともに'''比企三山'''と呼ばれる。[[天台宗延暦寺派]]。[[修験]]の寺でもあった。'''都幾山慈光寺'''。
白鳳時代、慈光が慈訓に千手観音を刻ませて祀ったのが始まりという。のち[[役行者]]が西蔵坊を建立。さらに[[鑑真]]弟子の[[道忠]]が丈六[[釈迦]]像を刻み、初代住職となった。[[円仁]]が立ち寄ったという伝説もある。貞観年間(859-877)には「'''天台別院一乗法華院'''」と称し、のち[[源頼朝]]が奥州征伐に際し、[[愛染明王]]を奉安し戦勝祈願した。近世には[[桂昌院]]の帰依を受けた。(『古寺名刹大辞典』)
白鳳時代、慈光が慈訓に千手観音を刻ませて祀ったのが始まりという。のち[[役行者]]が西蔵坊を建立。さらに[[鑑真]]弟子の[[道忠]]が丈六[[釈迦]]像を刻み、初代住職となった。[[円仁]]が立ち寄ったという伝説もある。貞観年間(859-877)には「'''天台別院一乗法華院'''」と称し、のち[[源頼朝]]が奥州征伐に際し、[[愛染明王]]を奉安し戦勝祈願した。近世には[[桂昌院]]の帰依を受けた。(『古寺名刹大辞典』)
[[category:埼玉県]]
[[category:埼玉県]]

2015年6月8日 (月) 時点における版

慈光寺(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある観音信仰天台宗寺院。坂東三十三所観音霊場の第9番札所。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。近隣の安楽寺正法寺とともに比企三山と呼ばれる。天台宗延暦寺派修験の寺でもあった。都幾山慈光寺

白鳳時代、慈光が慈訓に千手観音を刻ませて祀ったのが始まりという。のち役行者が西蔵坊を建立。さらに鑑真弟子の道忠が丈六釈迦像を刻み、初代住職となった。円仁が立ち寄ったという伝説もある。貞観年間(859-877)には「天台別院一乗法華院」と称し、のち源頼朝が奥州征伐に際し、愛染明王を奉安し戦勝祈願した。近世には桂昌院の帰依を受けた。(『古寺名刹大辞典』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%85%88%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール