ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

扶余・定林寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月14日 (月)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
 
(間の2版分が非表示)
1行: 1行:
-
'''定林寺'''(チョンニムサ)は、百済国の都[[扶余]]にあった寺院。廃絶。定林寺の名は、出土した瓦にある高麗時代の名称による。(参考:同名寺院[[定林寺]])
+
[[file:扶余定林寺001.jpg|thumb|500px|]]
 +
'''定林寺'''(じょうりんじ、チョンニムサ)は、韓国忠清南道扶余郡[[扶余邑]]東南里にあった[[朝鮮仏教|仏教]]寺院。廃絶。定林寺の名は、出土した瓦にある高麗時代の名称による。(参考:同名寺院[[定林寺]])
南北一直線に講堂、金堂、五層石塔、中門と並び、回廊があった。百済が唐と新羅に滅ぼされた時、五層石塔は平定の記念碑に改刻され、現存する。講堂跡に高麗時代の丈六石仏がある。
南北一直線に講堂、金堂、五層石塔、中門と並び、回廊があった。百済が唐と新羅に滅ぼされた時、五層石塔は平定の記念碑に改刻され、現存する。講堂跡に高麗時代の丈六石仏がある。
 +
<Gallery widths="300" heights="200" perrow="3">
 +
file:扶余定林寺001.jpg|
 +
file:扶余定林寺002.jpg|
 +
file:扶余定林寺003.jpg|
 +
file:扶余定林寺004.jpg|
 +
</Gallery>
[[category:大韓民国忠清南道]]
[[category:大韓民国忠清南道]]

2023年8月14日 (月) 時点における最新版

扶余定林寺001.jpg

定林寺(じょうりんじ、チョンニムサ)は、韓国忠清南道扶余郡扶余邑東南里にあった仏教寺院。廃絶。定林寺の名は、出土した瓦にある高麗時代の名称による。(参考:同名寺院定林寺

南北一直線に講堂、金堂、五層石塔、中門と並び、回廊があった。百済が唐と新羅に滅ぼされた時、五層石塔は平定の記念碑に改刻され、現存する。講堂跡に高麗時代の丈六石仏がある。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%89%B6%E4%BD%99%E3%83%BB%E5%AE%9A%E6%9E%97%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール