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扶余

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*芝仙里古墳群:忠清南道扶余郡外山面芝仙里。
*芝仙里古墳群:忠清南道扶余郡外山面芝仙里。
*[[烏含寺]]:忠清南道保寧市聖住面聖住里。聖住寺
*[[烏含寺]]:忠清南道保寧市聖住面聖住里。聖住寺
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*[[道譲寺]]:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。
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*[[道譲寺]]:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。跡地不詳。
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*[[扶余・天王寺|天王寺]]:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。
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*[[扶余・天王寺|天王寺]]:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。扶余旧衙里百済遺跡とする説がある。
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*[[白石寺]]:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で講堂が焼失とある。
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*[[白石寺]]:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で講堂が焼失とある。
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*[[扶余神宮]]
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*[[扶余神宮]]:忠清南道扶余郡扶余邑。
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漆岳寺:跡地不詳。
[[Category:大韓民国忠清南道|*]]
[[Category:大韓民国忠清南道|*]]

2023年8月14日 (月) 時点における版

扶余百済の首都。538年~660年に都だった。

一覧

  • 定林寺:忠清南道扶余郡扶余邑東南里。
  • 東南里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑東南里。
  • 皐蘭寺:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。
  • 西腹寺:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山廃寺。扶蘇山の西南麓にある。
  • 忠霊祠:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山城
  • 三忠祠:忠清南道扶余郡扶余邑扶蘇路。扶蘇山城
  • 臨江寺:忠清南道扶余郡扶余邑県北里。
  • 佳塔里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑佳塔里。
  • 旧校里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑旧校里。
  • 旧衙里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑旧衙里。
  • 軍守里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑軍守里。
  • 錦城山廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑錦城路。
  • 陵山里古墳群:忠清南道扶余郡扶余邑陵山里。
  • 陵山里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑陵山里。陵山里古墳群にある。
  • 龍井里廃寺:忠清南道扶余郡扶余邑龍井里。
  • 楮石里古墳群:忠清南道扶余郡扶余邑楮石里。
  • 王興寺:忠清南道扶余郡窺岩面新里。
  • 羅福里古墳群:忠清南道扶余郡窺岩面羅福里。
  • 金剛寺:忠清南道扶余郡恩山面琴公里。
  • 芝仙里古墳群:忠清南道扶余郡外山面芝仙里。
  • 烏含寺:忠清南道保寧市聖住面聖住里。聖住寺
  • 道譲寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。跡地不詳。
  • 天王寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。扶余旧衙里百済遺跡とする説がある。
  • 白石寺:忠清南道扶余郡扶余邑か。『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で講堂が焼失とある。
  • 扶余神宮:忠清南道扶余郡扶余邑。

漆岳寺:跡地不詳。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%89%B6%E4%BD%99」より作成

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