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持明院殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年11月28日 (日)
持明院殿(じみょういん)は、平安京・京都北郊にあった仙洞御所。持明院という仏堂があった。現在の光照院のあたりにあった。 藤原道長孫の藤原基頼(?-1122)がこの地に設けた自邸が前身。天治年間にその子の通基が仏堂持明院を建てて基頼を祖とする持明院家の名の由来となった。 その孫娘の陳子が高倉天皇の子守貞親王の正妃となり、守貞親王が居所とした。守貞親王は持明院宮と呼ばれた。 守貞親王の皇子が後堀河天皇に即位すると、親王は太上天皇となり、持明院殿を仙洞御所とした。 持明院統の拠点となった。1353年焼失して廃絶。
- 後高倉院守貞親王:
- 後堀河天皇:持明院殿で崩御。
- 後嵯峨天皇:持明院殿で崩御。
- 後深草天皇:
- 伏見天皇:
- 後伏見天皇:持明院殿で崩御。
- 崇光天皇:
- 後光厳天皇: