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振武台雄健神社 - SHINDEN

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振武台雄健神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年1月27日 (日)

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振武台雄健神社
しんぶだい おたけび じんじゃ
概要 振武台・陸軍予科士官学校の営内神社。廃絶。
所在地 (埼玉県朝霞市)
祭神 天照皇大神、明治天皇、経津主命、武甕槌命、大国主命、陸軍予科士官学校出身将校及本校職員文武官戦没者
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振武台雄健神社(しんぶだい おたけび じんじゃ)は、振武台・陸軍予科士官学校の営内神社である。 祭神は「天照皇大神、明治天皇、経津主命、武甕槌命、大国主命」と「陸軍予科士官学校出身将校及本校職員文武官戦没者」である(境内立札)。戦没者は1943年(昭和18年)時点で3032柱だったという。

1941年(昭和16年)9月に鎮座。ただし、市ケ谷台雄健神社を遷座したものともいう(各種資料によると、市ケ谷台雄健神社は振武台に遷座したともも相武台に遷座したとも読みとれるし、逆にどちらとも新しく創建したものとも読みとれる。不詳である。)。

振武台の正門はいってすぐのところに鎮座していた。社殿は市ケ谷台と同じく靖国神社を模した社殿であった。

敗戦時、占領軍の進駐に備えて、霊璽簿を8月16日に奉焼した。続いて、8月20日から25日にかけて、「振武台」碑裏に御神体などを埋納するための穴が掘削された。御剣2体、御鏡2体、その他什器、菊紋章などが埋納された。

占領軍が去ったのちの1965年(昭和40年)12月、有志の手で発掘された。1970年(昭和45年)11月28日、靖国神社にて昇神祭が行われて、廃絶となった。社殿は存続していたが、1978年(昭和53年)3月に解体された。代わって20分の1の復元模型が製作されて振武台記念館に納められた。2002年(平成14年)に神社跡地の整備が行われた。

参考文献

  • 坂井久能「営内神社等の創建」
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%8C%AF%E6%AD%A6%E5%8F%B0%E9%9B%84%E5%81%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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