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掌典職
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
掌典職
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掌典職 [[李王職典祀]]も参照。 ==沿革== *1871年8月4日:神祇官の祐・史を廃して大中少掌典と大中少神部を設置。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444654/250][https://www.digital.archives.go.jp/img/2332204] *1871年(明治4年)9月:刀自(内侍)中心の奉仕を改め、男性(のちの掌典)中心の奉仕となる。 *10/15:女性の御巫と権巫を改め、内掌典と権内掌典と改称。[https://www.digital.archives.go.jp/img/1386956] *1872年3月14日:宮中祭祀は式部寮の管轄となる。 *1872年3月15日:大掌典以下を神祇省から式部寮に移管 *1877年9月14日:掌典、内掌典、神部の等級を定める。[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787957/146] *1877年12/10:大中少掌典神部を廃し、掌典(1-4等)、掌典補(1-10等)を置く[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787957/167][https://www.digital.archives.go.jp/img/1387438] *1878年4月5日:職掌改定[https://www.digital.archives.go.jp/img/1342863] *1884年10/3:式部寮を廃して式部職を置く[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/787964/192] *1907年(明治40年)11/1:宮内省官制で掌典12人と定められる。式部職内の掌典部と位置付けられる。 *1939年12月26日:掌典職官制[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1351659/353]。式部職から独立。 *1947年(昭和22年):掌典長1人、掌典次長1人、掌典5人、内掌典5人、出仕3人、雑仕2人となる。 *1946年4月1日:掌典職廃止。神宮勅祭社は式部寮祭事課に移管。 *1947年5月3日:日本国憲法の施行にともない、内廷の「掌典職職制」制定。神宮・勅祭社の管轄が式部寮祭事課から内廷の掌典職に移管。15日に神宮勅祭社各宮司宛に伝達。20日、掌典職分課規程を制定。 *1948年10月2日:昭和天皇、宮内府長官の祭祀制度の変更の説明について聴許。 == 組織 == *掌典は外陣までしか入れない。 *内掌典は内陣、内内陣まで入れる。 === 歴代掌典長 === *1九条道孝(1839-1906)<1884-1898>:九条尚忠の長男。貞明皇后の父。国事御用掛。左大臣。奥羽鎮撫総督。氏長者。1884年(明治17年)公爵。貴族院議員。1884年(明治17年)10月3日~1898年(明治31年)9月10日 *2岩倉具綱(1841-1923)<1898-1915>:富小路政直の子。孝明天皇近習。1871年(明治4年)明治政府の参与。1915年(大正4年)宮中顧問官。1898年(明治31年)9月10日~1915年(大正4年)12月27日 *3九条道実(1869-1933)<1915-1933>:九条道孝の子。掌典・式部官を兼務。公爵。貴族院議員。1915年(大正4年)12月27日~1933年(昭和8年)1月19日 *4三条公輝(1882-1945)<1933-1945>:三条実美の三男。東京帝国大学卒。1892年(明治25年)分家して男爵となる。1924年(大正13年)本家三条実憲の養子となり家督相続。公爵。皇后宮主事。皇太后宮事務官。御歌所長。貴族院議員。1933年(昭和8年)1月28日~1945年(昭和20年)11月10日 *5坊城俊良(1893‐1966)<1945-1945>:著書『宮中五十年』。1945年(昭和20年)11月10日~1945年(昭和20年)11月27日 *6恒憲王(1900-1978)<1945-1946>:賀陽宮邦憲王の第一王子。陸軍大学校卒。陸軍戸山学校校長。陸軍大学校校長。陸軍中将。貴族院議員。1947年(昭和22年)10月、臣籍降下して賀陽恒憲と名乗る。御歌所長。敬老園理事長。1945年(昭和20年)11月27日~1946年(昭和21年)2月25日 *7徳大寺実厚(1887-1970)<1946-1946>:1946年(昭和21年)2月25日~1946年(昭和21年)8月12日。[[平安神宮]]宮司。 *8甘露寺受長(1880-1977)<1946-1959>:東京帝国大学卒。伯爵。東宮侍従。侍従。1939年(昭和14年)侍従次長。1945年(昭和20年)宮内省御用掛。[[明治神宮]]宮司。著書『背広の天皇』。1946年(昭和21年)8月12日~1959年(昭和34年)5月21日。 *9室町公藤(1893-1965)<1959-1960>:1959年(昭和34年)5月21日~1960年(昭和35年)11月10日 *10徳大寺実厚(1887-1970)<1960-1968>:1960年(昭和35年)11月10日~1968年(昭和43年)9月10日。再任。 *11永積寅彦(1902-1994)<1968-1977>:山口県出身。1902年生。東京帝国大学卒。フランス法を専攻。1968年(昭和43年)9月10日~1977年(昭和52年)6月20日。著書『昭和天皇と私ー八十年間お側に仕えて』 *12東園基文(1911-2007)<1977-1991>:1977年(昭和52年)6月20日~1991年(平成3年)4月1日。[[神社本庁]]統理。 *13小出英忠(1919-2000)<1991-2000>:1991年(平成3年)4月1日~2000年(平成12年)4月1日 *14本多康忠(1926-)<2000-2002>:2000年(平成12年)4月1日~2002年(平成14年)9月10日 *15井関英男()<2002->:2002年(平成14年)9月10日~ *手塚英臣()<2009-2014>:侍従次長。2009年5月15日〜2014年2月3日 *楠本祐一(1947-)<2014-2019>:外交官。侍従。2014年2月3日〜2019年12月10日退任。 *加地正人(1953-)<2020->:警察官僚。侍従次長。2020年1月22日付就任。 (井関英男まで『皇室事典』角川学芸出版) ===掌典次長=== *園池実康 *本多正復 ==人物== *竹屋光昭 *東園基愛 *宗重望 *勧修寺経雄 *宮地厳夫 *星野輝興 *前田利鬯 *山田有年 *川出清彦
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