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摂津・真光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年1月13日 (土)

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摂津真光寺006.jpeg

真光寺(しんこうじ)は、兵庫県神戸市兵庫区松原通にある一遍ゆかりの時宗寺院。一遍墓がある。本尊は一遍。時宗の元檀林寺院。山号は西月山。(参考:同名寺院真光寺

目次

歴史

一遍の墓

この地には兵庫観音堂があった。 1289年(正応2年)6月、一遍は阿波で発病。7月18日、明石に入る。迎えに船に乗り、兵庫観音堂に入った。8月22日には西宮神社神幸祭の和田岬渡御があり、見舞いに来た西宮神社の神主に十念を授けた。翌8月23日に死去した。

一遍は遺言で遺体を野に捨てるように言い残したが、地元の人々の結縁で火葬して墓を建てたという。 1299年(正安1年)には御影堂があったという。

1301年(正安3年)8月、他阿真教が御影堂を訪れて十三回忌を営んだ。

他阿真教は上奏して伏見上皇から真光寺の号を賜り 他阿呑海後醍醐天皇から西月山の号を賜ったという。

播磨守護の赤松氏の庇護を受け、発展。本堂、観音堂、御影堂などが建てられ、子院38寺があったという。 1468年(応仁2年)11月21日、一条政房が滞在。

1469年(文明1年)10月16日、山名赤松と大内の合戦で焼失。 慶長年間、再建。

長年、清浄光寺の兼務だったが、遊行上人48世・藤沢上人23世の他阿賦国が真光寺に院代を置いた。 1716年(享保1年)御影堂を再建。 (日本歴史地名大系)

伽藍

子院

  • 修善院:
  • 龍蔵院:
  • 陽徳院:
  • 西北院:

組織

歴代住職

  • 20河野生善(往阿)(1838-1906)<>:七条道場金光寺51世院代。
  • 22河野文敬(1858-1934)<1912-1934>:近代の学僧。1858年(安政5年)生。近江国堅田出身。1868年(明治1年)8月、六条道場歓喜光寺文冏について得度。1879年(明治12年)9月、真光寺龍蔵院住職。1881年(明治14年)京都荘厳寺住職。1895年(明治28年)宗学林学頭。1902年(明治35年)10月、垂井金蓮寺住職。1905年(明治38年)宿老会議員、宗学林建築委員長。1910年(明治43年)学頭再任。1912年(大正1年)3月、真光寺22世。足下位。1933年(昭和8年)10月大僧正。1934年(昭和9年)11月死去。77歳。著書『別願和讃講話』など。[1]

画像

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