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新熊野山

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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**[[覚仁親王墓]]:治定外墓。桜井塚。
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**巌屋毘沙門天:
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*神蔵山:熊野新宮に相当するという。
**[[諸興寺]]:奥之院。元禄年間に廃絶(日本歴史地名大系)。
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**[[頼仁親王墓]]:治定墓。若宮御霊殿という御影堂があった。
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*[[由加山]]:熊野那智に相当。新熊野三山の一つとされるが具体的な関係性を示す史料は見つかっていない。現在では瑜伽権現の一大霊場として知られるが、五流尊瀧院との関係や熊野信仰や修験道の要素はほぼみられないか。
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2020年8月14日 (金) 時点における版

新熊野山は岡山県倉敷市林の五流尊瀧院を中心とする修験道の霊場。児島修験(児島五流、五流修験)の拠点である。

目次

子院

五流六院

  • 尊瀧院:大宝元年創建。開山は義学。中興は澄意。史料初出は1467年(聖護院道興安堵状)。
  • 太法院:大宝元年創建。開山は義玄。中興は隆禅。
  • 建徳院:大宝元年創建。開山は義真。中興は昌範。史料初出は1594年(清田八幡宮棟札)か。
  • 報恩院:大宝2年創建。開山は芳元。中興は澄有。史料初出は1524年(山上雑用明鏡)。
  • 伝法院:大宝元年創建。開山は寿元。中興は親兼。史料初出は1422年(清田八幡宮棟札)。
  • 吉祥院:塩飽島
  • (智蓮光院):五流総禄。中世は東寺と関連が深く、東寺の御影供に出仕していた。真言宗だったかもしれない。史料初出は1427年(熊野本宮権三昧職補任状)。

十院

  • 観了院:
  • 大泉院:
  • 常楽院:
  • 覚城院:覚王院が改称か。「天和三年書上」では智蓮光院と共に「長床政所」を称す。史料初出は1594年(清田八幡宮棟札)か。
  • 正寿院:
  • 南瀧院:
  • 本城院:
  • 常住院:
  • 青雲院:
  • 宝良院:

十院の名は『院家院室末寺修験頭分書上帳』による。

その他

  • 覚王院:史料初出は1364年で、宋弁僧正が東寺御影供に出仕(東寺私用集)。1426年に亮宋が出仕(東寺長者補任)。宗縁、隆縁という僧侶もいた(山伏帳)。応仁の頃、円海が反乱を起こし、一山を焼く。
  • 千手院:
  • 正寿院:
  • 大泉坊:
  • 不善坊:
  • 宝乗院:
  • 瀧学院:
  • 神宮寺
  • 是如院
  • 密蔵坊
  • 多宝坊
  • 観乗院:史料初出は1418年(備陽記)。

新熊野三山

  • 蟻峰山麓:熊野本宮に相当する
  • 蟻峰山上:峰入り修行を行う。
    • 福岡神社:地主神。
    • 蔵王権現:
    • 巌屋毘沙門天:
    • 歴代墓地:
  • 神蔵山:熊野新宮に相当するという。
    • 諸興寺:奥之院。元禄年間に廃絶(日本歴史地名大系)。
    • 頼仁親王墓:治定墓。若宮御霊殿という御影堂があった。
  • 由加山:熊野那智に相当。新熊野三山の一つとされるが具体的な関係性を示す史料は見つかっていない。現在では瑜伽権現の一大霊場として知られるが、五流尊瀧院との関係や熊野信仰や修験道の要素はほぼみられないか。

周辺

  • 木華佐久耶比〓神社:岡山県倉敷市福江。福南山妙見社。山頂に奥宮。1597年に麓の山田の地に遥拝所を設けた。1948年、山頂の奥宮が山火事で焼失。1976年、現在地に再建した。(日本歴史地名大系)
  • 鴻八幡宮:岡山県倉敷市児島。県社。別当は総願寺。
  • 総願寺:岡山県倉敷市児島。王子権現社がある。
  • 清田八幡宮:岡山県倉敷市曽原。祭神は仲哀天皇・応神天皇・神功皇后。村社。神功皇后の創建。元は粒江村の清滝八幡宮だったが、1219年頃に現在地に遷座。中世の棟札が伝わり、熊野神社の長床衆の名がみえる。熊野神社の御旅所ともいう。
  • 一等寺:岡山県倉敷市曽原。真言宗御室派。護国寺、有南院、福聚寺とも。一山の菩提寺。山号は新熊野山。(日本歴史地名大系)
  • 藤戸寺:岡山県倉敷市藤戸町藤戸。備前国児島郡。本尊は千手観音。高野山真言宗。補陀落山千手院。705年に藤戸の海に千手観音が出現。天平年間、行基がこれを祀って寺院を創建。聖武天皇勅願寺となる。806年、坂上田村麻呂が造営。1151年、大般若経が寄進され、鳥羽天皇勅願寺。中世、謡曲「藤戸」の舞台として亡者慰霊の寺として知られた。戦乱で荒廃。近世、厳島大聖院の宝光院栄遍が、岡山藩主池田忠雄の帰依を得て復興。(日本歴史地名大系)
  • 本荘八幡宮:岡山県倉敷市児島通生。祭神は品陀別命・足仲彦命・息長帯姫命。郷社。701年創建。石鳥居は1421年造営ということが明確な貴重な鳥居。
  • 惣堂大明神:崇道天皇
  • 天石門別保布羅神社:岡山県倉敷市福田町広江。祭神は天手力雄命。郷社。頼仁親王が祈願したという。旧称は天形星社という。境内の石洞神社は後鳥羽上皇の墓という。
  • タコラ山


非座衆

大願寺の末寺34寺。近世には6寺のみ残る。

京都

  • 聖護院:中世から近代まで本山と仰いだ。
  • 新熊野神社:京都府京都市東山区。中世の児島修験の京都における拠点だった。覚王院宗縁(宋縁)など新熊野別当を兼ね、中央の政治に深く関与した山伏もいる。
  • 東寺:京都府京都市南区。児島修験は天台宗寺門派だが、真言宗も兼学し、東寺の御影供にも出仕した。

年譜

  • 1098年閏9月7日:諸興寺で延暦寺西塔長寿坊の薬仁という僧が『瑜祇経西決』という書を記す。諸興寺の史料初出。
  • 1205年:児島荘が紀伊熊野本宮大社の長床衆の所領となる(清田八幡宮棟札)。
  • 1219年頃:清田八幡宮、現在地に遷座したという。
  • 1221年:承久の乱。
  • 1240年(仁治1年):後鳥羽天皇供養塔を建立。現存。
  • 1279年(弘安2年):紀伊熊野長床衆、荘園管理と仏事を定めた『長床六十三箇条式目』を制定。
  • 1364年:児島覚王院の宋弁僧正が東寺御影供に出仕(東寺私用集)。
  • 応仁(1467-1469):覚王院円海が反乱を起こし、一山を焼いたという。
  • 1492年(明応1年):熊野神社本殿再建。第2殿は現在の社殿。
  • 1493年(明応2年):聖護院道興が児島を訪問。五流が聖護院の所属となる。
  • 天正年間:熊野神社長床再建。
  • 1683年(天和3年):五流尊瀧院、「天和三年書上」を岡山藩もしくは幕府に提出。
  • 元禄年間(1688-1704):諸興寺、廃絶。
  • 1705年:塩飽島に讃岐・吉祥院成立。
  • 1725年頃:吉祥院玄仙が『修験本当偽邪弁論』を記す。
  • 1769年(明和6年):熊野神社、長床焼失。再建。
  • 1779年(安永8年)2月:庵室の修理に際して聖護院から「柴庵室」の額を与えられる。
  • 1820年(文政3年):三重塔再建。
  • 1840年(天保11年):熊野神社本殿再建。
  • 1849年(嘉永2年)9月1日:五流尊瀧院、院室となる。
  • 1918年(大正7年)9月27日:頼仁親王墓が宮内省管轄と決定(『岡山県児島郡案内誌』)。
  • 1946年3月30日:五流尊瀧院、独立して修験道本庁(正式名称は「修験道」)を設立。
  • 1971年2月:後鳥羽天皇供養塔を学術調査。中から歯などの納入品が発見された。
  • 2003年:熊野神社長床を焼失。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%96%B0%E7%86%8A%E9%87%8E%E5%B1%B1」より作成

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