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新荘護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''新荘護国神社'''は山形県新庄市堀端町の新庄城跡にある[[招魂社]]。祭神は新庄最上の戦没者3394柱。[[戸沢神社]]と[[新荘天満宮]]に隣接。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。
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'''新荘護国神社'''は山形県新庄市堀端町の新庄城跡にある[[招魂社]]。祭神は新庄最上の戦没者3394柱。[[戸沢神社]]と[[新荘天満宮]]に隣接。[[官祭招魂社]]。[[指定外護国神社]]。'''新荘招魂社'''、'''十日町招魂社'''
== 歴史 ==
== 歴史 ==
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明治4年5月、太田[[瑞雲院]]内に戊辰戦争戦死者56柱を祀る。
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明治4年5月、歴代藩主墓所のある太田[[出羽・瑞雲院]]内に招魂場を設け、戊辰戦争戦死者56柱を祀る。
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(『靖国神社誌』には1869年(明治2年)8月創建とある)
明治11年10月、[[吉川町天満宮]]に遷座。
明治11年10月、[[吉川町天満宮]]に遷座。

2018年11月26日 (月) 時点における版

新荘護国神社は山形県新庄市堀端町の新庄城跡にある招魂社。祭神は新庄最上の戦没者3394柱。戸沢神社新荘天満宮に隣接。官祭招魂社指定外護国神社新荘招魂社十日町招魂社

歴史

明治4年5月、歴代藩主墓所のある太田出羽・瑞雲院内に招魂場を設け、戊辰戦争戦死者56柱を祀る。 (『靖国神社誌』には1869年(明治2年)8月創建とある)

明治11年10月、吉川町天満宮に遷座。 明治16年5月、社殿再建。 大正4年、現在地に遷座。 昭和14年4月、護国神社と改称。 (戸沢神社ウェブサイト)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%96%B0%E8%8D%98%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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