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日前神宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年5月2日 (日)

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日前神宮本殿

日前神宮(ひのくま・じんぐう)は、和歌山県和歌山市秋月(紀伊国名草郡)にある神器奉斎神社日像鏡(ひがたのかがみ)を奉斎する。祭神は「日前大神」(土岐昌訓論文)。国懸神宮と並び建つ。式内社名神大社紀伊国一宮官幣大社。単立。日前神宮・国懸神宮関連旧跡も参照。

目次

歴史

境内

日前神宮・国懸神宮関連旧跡を参照。

組織

紀国造

  • 紀伊国(紀国、木国)を統治した国造紀氏。日前神宮・国懸神宮の神主職を世襲する。上代からの有力豪族で、岩橋千塚は古代の国造の墓所と考えられている。出雲大社に奉仕する出雲国造と共に平安時代まで宮中で任命式が行われた。「神郡」とされた名草郡の郡司を兼任。平安時代以降、郡の行政機能が失われた後も中世末まで名草郡を支配した。豊臣秀吉の攻撃で壊滅した後は世俗領主としての側面は失った。幕末に飛鳥井家から養子を迎えた。明治時代には華族となり、男爵となった。丹生都比売神社の丹生氏は同族。
  • 諸系譜[1](紀俊秀まで)、『和歌山史要』[2](紀俊秀まで)、「日前宮神主紀伊国造系図」[3](紀昌長まで)
歴代紀国造・日前神宮国懸神宮歴代宮司
生没年 在職年 略歴
1 天道根命 神皇産霊尊の五世孫。神武天皇から国造に任命されたという。天道根神社祭神。
2 比古麻命
3 鬼刀禰命
4 久志多麻命
5 大名草彦命
6 宇遅比古命 菟道彦。宇豆比古。武内宿禰の生母の影媛は、宇遅比古命の娘とも妹ともいう。
7 舟本命
8 夜都賀志彦命
9 等与美々命 豊耳
10 豊布流 以後、紀大直となる。
11 塩籠
12 禰賀志富
13
14 国見
15 麻佐手
16 国勝
17 忍勝 生没年不詳 583年、百済に派遣される。押勝。
18 大海
19 忍穂
20 牟婁
21 石牟
22 摩祖 724年(神亀1年)国造に任命(『続日本紀』)。直祖
23 紀古麿
24 紀林直
25 紀千島
26 紀足国
27 紀豊島
28 紀吉継
29 紀豊
30 紀五百友
31 紀国栖 国井
32 紀豊成
33 紀高継
34 紀弘渕 弘淵
35 紀槻雄 和歌山市坂田の天台宗了法寺を創建。
36 紀広世
37 紀有守
38 紀奉世
39 紀行義 紀奉世の孫。父は紀文煥で中央氏族の紀氏か。以後、紀朝臣を称す。
40 紀孝経 高経、教経とも。
41 紀義孝
42 紀孝弘 教弘とも
43 紀孝長
44 紀孝季
45 紀経佐
46 紀良守 淑守
47 紀良佐
48 紀良忠 紀三井寺に隠棲。「紀三井寺国造」と呼ばれた。
49 紀良平
50 紀良宣 淑宣
51 紀宣俊
52 紀宣宗
53 紀宣保 宣康
54 紀宣親 1216-1274 1225- 1216年(建保4年)生。1225年(嘉禄1年)相続。隠退後の1265年(文永2年)出家して妙蓮と名乗る。紀三井寺に隠棲。1269年(文永6年)、叡尊を日前宮・紀三井寺に招いて菩薩戒を受けた。叡尊とは婚戚だったと考えられている。「後紀三井寺国造」と呼ばれた。1274年(文永11年)死去。
55 紀淑文
56 紀淑氏
57 紀俊文 生没年不詳
58 紀親文 生没年不詳 ~1340~ 最初、南朝に付いたがのち北朝に転じた。
59 紀俊長 生没年不詳 ?-1405 1405年(応永12年)出家して摂津琴浦に隠居。
60 紀行文 生没年不詳 ~1429~
61 紀行長
62 紀行孝
63 紀親弘
64 紀俊連 生没年不詳 ~1489~ 飛鳥井雅親の娘婿となり、蹴鞠を伝授される。
65 紀俊訓
66 紀光雄
67 紀忠雄 ?-1590 豊臣秀吉軍に神宮を焼かれ、高野山に逃れた。1590年(天正18年)8月30日死去。
68 紀忠光
69 紀昌長
70 紀俊弘
71 紀俊範 ~1731~
72 紀豊文
73 紀俊敬
74 紀慶俊
75 紀三冬 1769-1825 飛鳥井家出身。飛鳥井雅重の四男。1769年(明和6年)生。本居宣長に学ぶ。1825年(文政8年)2月12日死去。57歳。俊庸。
76 紀尚長 1808-1879 紀俊和(紀三冬の子)の子。1808年(文化5年)生。1879年(明治12年)7月21日死去。72歳。
77 紀俊尚 1835-1896 1835年(天保6年)生。1872年(明治5年)5月19日、華族。1884年(明治17年)男爵。1886年(明治19年)4月1日、竈山神社宮司兼務を解く。1896年(明治29年)8月4日死去。62歳。
78 紀俊秀 1870-1940 1891-1896 男爵。紀俊尚の長男。1870年(明治3年)生。1891年(明治24年)宮司。1896年(明治29年)貴族院議員となり、宮司を弟に譲る。1923年(大正12年)和歌山市長。
79 紀俊 1873-? 1897-? 紀俊秀の弟。1873年(明治6年)生。男爵。1897年(明治30年)日前神宮国懸神宮宮司。1927年(昭和2年)全国神職会副会長。戦後、日前教を創設して教長を名乗る。
80 紀俊嗣 1898-1984 1949-1984 和歌山県出身。紀俊の子。1898年(明治31年)生。1922年(大正11年)国学院大学国史学科卒。1938年(昭和13年)住吉大社主典。1941年(昭和16年)播磨・海神社宮司兼兵庫県姫路護国神社社司。1944年(昭和19年)白山比咩神社宮司。戦後、白山教を立てるがうまくいかなかった。1946年(昭和21年)石川県神社庁長。1949年(昭和24年)日前神宮国懸神宮宮司。1984年(昭和59年)5月17日死去。
81 紀俊武 1939- 1984- 和歌山県出身。紀俊嗣の子。1939年(昭和14年)生。1962年(昭和37年)甲南大学卒。1967年(昭和42年)国学院大学神道学専攻科修了。同年、日前神宮国懸神宮権禰宜。1972年(昭和47年)禰宜。1984年(昭和59年)宮司。

少宮司

  • 山田尚忠(1802-1879)<1872-1875>:1802年(享和2年)生。加納諸平に師事。1872年(明治5年)日前神宮国懸神宮少宮司兼大講義。1875年(明治8年)退任。1879年(明治12年)8月12日死去。78歳。著書『擬古事記文』『冠辞横寸法』、歌集『垣のにこ草』。

画像

古典籍

http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%97%A5%E5%89%8D%E7%A5%9E%E5%AE%AE」より作成

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