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日本の慰霊施設 - SHINDEN

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日本の慰霊施設

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

2011年6月24日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
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日本の慰霊施設

Chidorigafuchi-boen 002.jpg Okinawa-senseki 008.jpg
左:千鳥ケ淵戦没者墓苑 右:沖縄県営平和祈念公園 沖縄平和祈念堂

目次

概要

日本の主要な慰霊施設を、戦争関連慰霊施設を中心に紹介する。

Okinawa-senseki 001.jpg

系譜

一覧

大規模慰霊施設

大規模慰霊施設
整理
番号
名称 所在地 コメント
1 千鳥ケ淵戦没者墓苑 東京都千代田区三番町 日本国政府の「無名戦没者の墓」である。358269柱が祀られている(2010年(平成22年)5月現在。環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑ウェブサイト)。1959年(昭和34年)3月28日に創建された。行政的な位置づけは環境省管轄の「公園の性格を有する墓地公園」であるという(環境省千鳥ケ淵戦没者墓苑ウェブサイト)。毎年、5月に厚生労働省主催による「拝礼式」を行っている。
2 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 広島県広島市中区中島町1-6 下記参照。
3 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 長崎県長崎市平野町7-8 下記参照。
4 国立沖縄戦没者墓苑 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 下記参照。
5 太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔 兵庫県姫路市西延末475番地 手柄山中央公園内 1956年(昭和31年)10月26日、建立。毎年、10月26日に「追悼平和祈念式」を行っている。日本全国の113戦災都市の空爆などの犠牲者を祀る。「姫路市平和資料館」が隣接している。
6 東京都慰霊堂 東京都墨田区横網2丁目3-25 関東大震災の死者および東京大空襲の死者を祀る東京都の慰霊施設。関東大震災遭難死者の約5万8000柱および東京大空襲殉難者の約10万5000柱の遺骨、合計16万3000柱の遺骨を奉安している。1930年(昭和5年)、関東大震災の遭難死者の遺骨を奉安するために創建され、「震災記念堂」と称した。のち東京大空襲の殉難者の遺骨を合わせて奉安した。1951年(昭和26年)9月に「東京都慰霊堂」と改称した。毎年、3月10日(東京大空襲の日)と9月1日(関東大震災の日)に「慰霊大法要」が行われている。。
7 東京都戦没者霊苑 東京都文京区春日1丁目14-4 東京都の戦没者慰霊施設である。約16万柱の戦没者が祀られている。1960年(昭和35年)6月に創建。1988年(昭和63年)に改修。遺品展示室が付属している。
8 神奈川県戦没者慰霊堂 神奈川県横浜市港南区最戸2-19-1 神奈川県の戦没者慰霊施設である。約5万8000柱の戦没者が祀られている。1953年(昭和28年)11月5日に創建。毎年5月10日に神奈川県主催の「神奈川県戦没者追悼式」が行われている。「かながわ平和祈念館」が付属している。
9 沖縄県営平和祈念公園 沖縄県糸満市摩文仁577 下記参照。
10 広島市営平和記念公園 広島県広島市中区中島町 下記参照。
11 長崎市営平和公園 長崎県長崎市松山町9-44 下記参照。
12 自衛隊殉職者慰霊碑 東京都新宿区市谷本村町5-1 防衛省の自衛隊殉職者慰霊碑。殉職隊員1737柱(2003年(平成15年)現在)を祀る。1962年(昭和37年)に建立された。1980年(昭和55年)に改修。1998年(平成10年)、防衛庁(当時)本庁庁舎の市ヶ谷駐屯地移転に伴って改修したが、敷地狭隘のため、2003年(平成15年)8月、整備。建立前の1957年(昭和32年)より毎年「自衛隊殉職隊員追悼式」を実施している。(「防衛庁の市ヶ谷地区への移転等 に係る取組」ほか)
13 教育塔 大阪府大阪市中央区大阪城 教職員児童学生の殉難者を祀る慰霊施設。約2万7000柱を祀る。1934年(昭和9年)、室戸台風の犠牲者を慰霊するために、帝国教育会が計画。1936年(昭和11年)10月30日、建立。1948年(昭和23年)、日本教育会解散のため、日本教職員組合に移管される。(教育塔ウェブサイト)
14 産業殉職者霊堂 東京都八王子市狭間町1992 産業災害の殉難者を祀る慰霊施設。22万7000柱を祀る。1972年(昭和47年)、労働福祉事業団(現・独立行政法人労働者健康福祉機構)が創建した。毎年、10月に「産業殉職者合祀慰霊式」が行われている。「高尾みころも霊堂」ともいう。

原爆に関する広島の慰霊施設

原爆に関する広島の慰霊施設
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番号
名称 所在地 コメント
1 広島平和記念公園 広島県広島市中区中島町 広島市の爆心地近くにある市営公園。「広島平和都市記念碑」を中心に「広島平和記念資料館」、「原爆ドーム」、7万人の遺骨を納める「原爆供養塔」、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」、折鶴が供えられる「原爆の子の像」などがある。資料館は財団法人広島平和文化センターが指定管理者となり管理している。
2 広島平和都市記念碑 広島県広島市中区中島町 広島平和記念公園内 広島市が建立した原爆死没者の慰霊碑。広島平和記念公園の一施設。1952年(昭和27年)8月6日、建立。原爆死没者約25万人を祀っている。
広島平和記念公園の中心に位置する。原爆ドームと広島平和記念資料館を結ぶ軸線上にある。記念碑は石棺をモチーフとした形状である。約25万人の原爆死没者の名がある原爆死没者名簿が納められている。さらにその記念碑を家屋の埴輪をモチーフとした屋根で覆っている。イサム・ノグチによって設計されたが、日系アメリカ人であることが問題視されて、丹下健三が再設計した。また記念碑の銘文の解釈を巡って、しばしば論争・トラブルが起きている。毎年8月6日には「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式(広島平和記念式典)」が記念碑の前で行われている。
3 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 広島県広島市中区中島町1-6 日本政府が設立した原爆死没者を追悼し平和を祈念するための施設。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」41条に基づく。広島平和記念公園内に位置する。2002年(平成14年)8月1日に開館。通常の資料館部分に加えて「平和祈念・死没者追悼空間」があるのが特徴である。「平和祈念・死没者追悼空間」は地下2階にある円形の部屋で、中央に「8時15分」を表す水盤が置かれている。爆心地あたりの風景が壁面に表されている。財団法人広島平和文化センターが指定管理者となり管理している。


原爆に関する長崎の慰霊施設

原爆に関する長崎の慰霊施設
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番号
名称 所在地 コメント
1 平和公園 長崎県長崎市松山町9-44 長崎市の爆心地にある市営公園。複数の慰霊施設や資料館、レクリエーション施設からなる複合施設である。1950年(昭和25年)8月1日に設立。1997年(平成9年)再整備。2008年(平成20年)国登録記念物に登録される。
2 平和祈念像 長崎県長崎市松山町9-44 長崎市営平和公園内 平和祈念像は死没者慰霊・平和祈念のための彫像。長崎市営平和公園の一施設。1955年(昭和30年)8月8日建立。彫刻家・北村西望が制作。「願いのゾーン」にある。
平和祈念像は高さ9.7mの像で、右手は天を指し、左手は水平に開き、目は軽く閉じている。製作者によると「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」とされる。
1968年(昭和43年)8月9日、平和祈念像前に「原爆殉難者名奉安所」を設置して原爆殉難者名簿を奉安した。1997年(平成9年)、平和公園の再整備に伴い、「原爆殉難者名奉安所」は「原爆落下中心地碑」前に移設した。また合わせて、原爆殉難者名簿は原本を国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間に移動し、複製を「原爆殉難者名奉安所」に納めた。
毎年、8月9日に「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行われている。平和公園の「願いのゾーン」には「平和の泉」「長崎の鐘」「折鶴の塔」のほか多数のモニュメントが建立されている。
3 原爆落下中心碑・原爆殉難者名奉安所 長崎県長崎市松山町9-44 長崎市営平和公園内 原爆落下中心碑は爆心地にある記念碑。長崎市営平和公園の一施設。1945年(昭和20年)10月に文部省が調査したときに最初の標識が建てられた。現在のものは1995年(平成7年)の造営である。平和公園「祈りのゾーン」にある。
記念碑の前に「原爆殉難者名奉安所」が設置されている。「原爆殉難者名奉安所」はもともと平和祈念像の前に設置されていたが、1997年(平成9年)の再整備に伴い、現在地に移設した。「原爆殉難者名奉安所」の内部にはマイクロフィルム化された原爆殉難者名簿が納められている。
「祈りのゾーン」内には「浦上天主堂遺壁」「被爆50周年記念事業碑」などのほか、多数の慰霊碑が建立されている。
4 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館 長崎県長崎市平野町7-8 日本政府が設立した原爆死没者を追悼し平和を祈念するための施設。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」41条に基づく。平和公園内に位置する。2003年(平成15年)7月に開館。通常の資料館部分に加えて「追悼空間」があるのが特徴である。
長崎平和公園の「学びのゾーン」に位置する。「長崎原爆資料館」や「長崎平和会館」「長崎市歴史民俗資料館」に隣接する。
「追悼空間」は地下2階にある長方形の部屋で、12本の「光の柱」と「名簿棚」がある。「名簿棚」に145,984人分の名簿147冊(平成20年8月9日現在)が納められている。(ウェブサイト)
5 長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂 長崎県長崎市岡町8-5 原爆死没者のうち引き取り手のない遺骨を納める納骨施設。長崎市が運営している。現在8962柱の遺骨が祀られている(2009年(平成21年)6月1日現在)。平和公園に隣接してある。


沖縄の大規模慰霊施設


沖縄の大規模慰霊施設
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番号
名称 所在地 コメント
1 沖縄戦跡国定公園 沖縄県糸満市摩文仁 沖縄本島南端にある国定公園。施設ではない。糸満市および島尻郡八重瀬町に位置する。政府立公園法(1957年立法第56号)に基づき、琉球政府が1965年(昭和40年)10月1日に「沖縄戦跡政府立公園」を指定。1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の本土復帰により、自然公園法に基づく国定公園とみなされる。
県営平和祈念公園・米須霊域・ひめゆりの塔などの慰霊碑がある。
2 沖縄県営平和祈念公園 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 県営平和祈念公園は「沖縄戦終焉の地」である摩文仁の丘に設けられた県営公園である。いくつかの施設からなる慰霊施設コンプレックスとなっている。琉球政府時代に設置され、復帰後の1972年(昭和47年)より本格的に整備を開始した。
国立沖縄戦没者墓苑などがある霊域・沖縄平和祈念堂・平和の礎(平和の火)といった慰霊施設のほか、沖縄県平和祈念資料館や平和の丘・式典広場(2001年)がある。
毎年、6月23日の「慰霊の日」に沖縄県主催による「沖縄全戦没者追悼式」が平和の丘・式典広場(2001年(平成13年)より)にて行われている。
財団法人沖縄県平和祈念財団(旧・沖縄県慰霊奉賛会)が指定管理者となって管理している。(ウェブサイト)
3 国立沖縄戦没者墓苑 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 ■概要
日本政府によって創建された沖縄戦に関する納骨・慰霊施設。1979年(昭和54年)2月25日に厚生省が創建した。被葬者は沖縄戦の戦没者のうち、遺族に引き渡すことが不可能であった約18万柱である。
■沿革
1957年(昭和32年)、日本政府は琉球政府に委託して、那覇市識名に「戦没者中央納骨所」を創建していたが、収骨数の増加により、新たな納骨施設の設置が求められた。そこで、日本政府は1979年(昭和54年)に「沖縄戦終焉の地」である県営平和祈念公園内に国立沖縄戦没者墓苑を創建した。
■施設
墓苑は県営平和祈念公園南側にある「霊域」の中心部に位置している。岬の先端に位置し、墓苑は北西の方角を向いている。
墓苑は、参拝所・石棺・納骨堂から構成されている。墓苑の中心となるのは石棺で、内部には沖縄各戦場ごとの象徴遺骨が分骨されて白木の箱に納められ、祀られている。象徴遺骨を用いる様式は欧米の「無名戦士の墓」の方法を受け継ぐものである。石棺は黒御影石(福島県産)である。その後方に納骨堂がある。納骨堂は琉球王家の墓を模倣したもので、コの字型をしている。琉球トラバーチン石(沖縄産)を使用したものである。一番前方にある参拝所は、宝形屋根を持ち、前後吹き抜け、土間でコンクリート造となっている。屋根は沖縄伝統を象徴する赤瓦を用いている。内部には献花台が設置されている。
■管理
厚生労働省によって管理されている。各種団体によって行事が行われているが、統一行事といったものはないようである。(財団法人沖縄県平和祈念財団ウェブサイト)
4 沖縄県営平和祈念公園 摩文仁の丘慰霊塔 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 沖縄県営平和祈念公園内の慰霊碑が建ちならぶ区画。国立沖縄戦没者墓苑を始め、各県各団体が建立した約50基の慰霊碑がある。
5 沖縄平和祈念堂 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 1978年(昭和53年)10月に創建。
■施設
平和祈念公園内北側に位置し、西南を向いて「平和の丘」と向かい合っている。
堂内中央には中心となる沖縄平和祈念像が祀られている。沖縄平和祈念像は、画家山田真山が制作した全高12mの彫像である。仏像をモチーフとした彫像で、「人間の祈りの姿を象徴した座像」とされる。胎内には「平和の礎刻銘者名簿」が納められている。台座地階の霊石室には世界各国から寄贈された「霊石」が納められている。
堂内の天井には宇宙空間を象徴する「郡星」があり、それを七つの海を象徴する七つの柱で支えている。壁面には画家西村計雄による連作「戦争と平和」が展示されている。
敷地内には祈念堂のほかに「少年の像」「平和の鐘」「瞑想の森」「平和祈念モニュメント」などのモニュメントのほか、奉納された絵画を展示する沖縄平和祈念堂美術館がある。
■管理
財団法人沖縄協会(旧・特殊法人南方同胞援護会)が管理している。毎年4月11日に「平和の礎刻銘者追悼清明祭」、6月22日に「沖縄全戦没者追悼式前夜祭」を行っている。
(沖縄平和祈念堂ウェブサイト)
6 平和の礎(平和の火) 沖縄県糸満市摩文仁577 沖縄県営平和祈念公園内 沖縄県が建立した沖縄戦犠牲者全てを対象とした慰霊碑。1995年(平成7年)6月23日、建立。国籍を問わず沖縄戦で死亡した全ての死者約24万人の名が刻まれている。中心には「平和の火」のモニュメントがある。平和の火から伸びる中央道路は、6月23日の日の出の方角に合わせており、「平和の丘」に繋がっている。
「平和の火」は「沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と被爆地地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けていただいた火を合火し、1991年から灯しつづけた火を、1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したもの」だという(沖縄県平和祈念資料館HP)。
7 魂魄の塔・米須霊域 沖縄県糸満市山城 米須霊域は、糸満市山城にある沖縄戦慰霊碑群とその所在エリアの総称である。戦後最初の沖縄慰霊碑といわれる「魂魄の塔」を中心に12基ほどの慰霊碑が建立されている。隣接して「平和創造の森公園」がある。
1946年(昭和21年)真和志村村長金城和信は散乱する遺骨2万柱を敵味方なく収集し、納骨堂を建立した。同年2月27日、納骨堂に添えて「魂魄の塔」を建立した。3万5000柱の遺骨が納められていたが、1979年(昭和54年)の国立沖縄戦没者墓苑の創建に伴い、同墓苑に分骨改葬された。
8 ひめゆりの塔 沖縄県糸満市字伊原671?1 金城和信が建立した慰霊碑。ひめゆり平和祈念資料館が付属している。
9 戦没者中央納骨所 沖縄県那覇市識名(識名霊園??) 1957年(昭和32年)7月10日、日本政府は琉球政府に委託して、那覇市識名に「戦没者中央納骨所」を創建した(2002『読谷村史』「第七章 慰霊の塔は語る」インターネット版)。しかし、沖縄各地からの収骨が進むに連れて、収骨数が膨大な数となって、納骨所が狭隘となったため、本土復帰後の1979年(昭和54年)に「沖縄戦終焉の地」である糸満市摩文仁の県営平和記念公園内に国立沖縄戦没者墓苑が創建され、戦没者中央納骨所の遺骨が改葬された。

日本政府が建立した海外慰霊碑


日本政府が建立した海外慰霊碑
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番号
名称 所在地 コメント
1 硫黄島戦没者の碑 東京都小笠原村硫黄島 1971年(昭和46年)3月26日、建立。硫黄島地域戦没者約2万1900柱を慰霊対象としている。設計は、谷口吉郎。
2 比島戦没者の碑 フィリピン共和国ラグナ州カリラヤ 1973年(昭和48年)3月28日、建立。フィリピン地域戦没者約51万8000柱を慰霊対象としている。設計は、谷口吉郎。
3 中部太平洋戦没者の碑 アメリカ合衆国(自治領)北マリアナ諸島サイパン島マッピ 1974年(昭和49年)3月25日、建立。該当地域(マリアナ諸島、東カロリン諸島、メレヨン環礁等)戦没者約11万300柱を慰霊対象としている。設計は、谷口吉郎。
4 南太平洋戦没者の碑 パプアニューギニア独立国東ニューブリテン州ラバウル市 1980年(昭和55年)9月30日、建立。該当地域(ビスマーク諸島・アドミラルティ諸島・ソロモン諸島)戦没者約11万8700柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
5 ビルマ平和記念碑 ミャンマー連邦ヤンゴン市 1981年(昭和56年)3月28日、建立。ビルマ地域戦没者約13万7000柱を慰霊対象としている。設計は、ラングーン開発委員会。
6 ニューギニア戦没者の碑 パプアニューギニア独立国東セピック州ウエワク市 1981年(昭和56年)9月16日、建立。ニューギニア島地域(西イリアンを除く)戦没者約12万7600柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
7 ボルネオ戦没者の碑 マレーシア サバ州ラブアン市 1982年(昭和57年)9月30日、建立。ボルネオ島地域(インドネシア領を除く)戦没者約1万2000柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
8 東太平洋戦没者の碑 マーシャル諸島共和国マジュロ島マジュロ 1984年(昭和59年)3月16日、建立。該当地域(マーシャル諸島・ギルバート諸島)戦没者を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
9 西太平洋戦没者の碑 パラオ共和国ペリリュー州ペリリュー島 1985年(昭和60年)3月8日、建立。該当地域(パラオ諸島・ペリリュー諸島・アンガウル諸島)戦没者を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
10 北太平洋戦没者の碑 アメリカ合衆国アラスカ州アッツ島(アリューシャン列島) 1987年(昭和62年)7月1日、建立。アリューシャン列島地域戦没者約5500柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
11 第二次世界大戦慰霊碑 インドネシア共和国パプア州ビアク島パライ 1994年(平成6年)3月24日、建立。インドネシア地域戦没者約8万4400柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
12 インド平和記念碑 インド マニプール州インパール市ロクパチン 1994年(平成6年)3月25日、建立。インド地域戦没者約3万柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
13 日本人死亡者慰霊碑 ロシア連邦ハバロフスク州ハバロフスク市 1995年(平成7年)7月31日、建立。旧ソ連抑留中死亡者約5万5400柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
14 樺太・千島戦没者慰霊碑 ロシア連邦サハリン州(樺太)スミルヌイフ 1996年(平成8年)11月1日、建立。該当地域(南樺太・千島列島)戦没者約1万8900柱を慰霊対象としている。設計は、菊竹清訓。
15 日本人死亡者慰霊碑 モンゴル国ウランバートル市 2001年(平成13年)10月15日、建立。モンゴル抑留中死亡者約1700柱を慰霊対象としている。設計は、横河建築設計事務所。

初期収骨事業の際に建てられた「戦没日本人之碑」

初期収骨事業の際に建てられた「戦没日本人之碑」
整理
番号
名称 所在地 コメント
1 戦没日本人之碑 東京都小笠原村硫黄島 1953年(昭和28年)建立
2 戦没日本人之碑 東京都小笠原村南鳥島 1953年(昭和28年)建立
3 戦没日本人之碑 インドネシア共和国西パプア州(西部ニューギニア)マノクワリ市 サンゲン岬 1956年(昭和31年)建立
4 戦没日本人之碑 インドネシア共和国パプア州(西部ニューギニア) サルミ 1956年(昭和31年)建立
5 戦没日本人之碑 インドネシア共和国西パプア州ビアク島
6 戦没日本人之碑 パプアニューギニア独立国東ニューブリテン州ラバウル 花吹山
7 戦没日本人之碑 パプアニューギニア独立国オロ州ブナ村
8 戦没日本人之碑 パプアニューギニア独立国マヌス州ロスネグロス島 モモテ空港近く
9 戦没日本人之碑 マレーシア連邦ラブアン 日本人墓地
10 戦没日本人之碑 パラオ共和国アンガウル州 1953年(昭和28年)建立
11 戦没日本人之碑 アメリカ合衆国アラスカ州 アッツ島 1953年(昭和28年)建立
12 戦没日本人之碑 北マリアナ諸島連邦サイパン島ススペ 1953年(昭和28年)建立
13 戦没日本人之碑 パプアニューギニア独立国東セピック州ウエワク 1955年(昭和30年)
14 戦没日本人之碑 パラオ共和国アンガウル島 1953年(昭和28年)
15 戦没日本人之碑 アメリカ合衆国グアム島ジーゴ グアム平和慰霊公苑
16 戦没日本人之碑 (調査中)
17 戦没日本人之碑 (調査中)
18 戦没日本人之碑 (調査中)
19 戦没日本人之碑 (調査中)
20 戦没日本人之碑 (調査中)
21 戦没日本人之碑 (調査中)


ギャラリー

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