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日本武尊墓 双児塚伝承地

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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双児塚の名は古墳が2基並び、日本武尊が双子だったことに由来する。
双児塚の名は古墳が2基並び、日本武尊が双子だったことに由来する。
1号墳は直径17m、高さ4m。2号墳は直径10m、高さ2m。やや奥にある3号墳は直径17m、高さ4m。
1号墳は直径17m、高さ4m。2号墳は直径10m、高さ2m。やや奥にある3号墳は直径17m、高さ4m。
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1875年(明治8年)、旧亀山藩家老の近藤幸殖と加藤伴彦が、八羽石男の説に従い、双児塚を日本武尊の墓だと[[神祇官]]に報告したが認められなかった。
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1875年(明治8年)、旧亀山藩家老の近藤幸殖と加藤伴彦が、八羽石男の説に従い、双児塚を日本武尊の墓だと[[神祇官]]に報告したが認められなかった。(日本歴史地名大系)
[[Category:三重県]]
[[Category:三重県]]

2019年4月13日 (土) 時点における版

三重県鈴鹿市長沢町鈴木田にある日本武尊の墓の伝承地。治定外。双児塚双児塚古墳群

歴史

双児塚の名は古墳が2基並び、日本武尊が双子だったことに由来する。 1号墳は直径17m、高さ4m。2号墳は直径10m、高さ2m。やや奥にある3号墳は直径17m、高さ4m。 1875年(明治8年)、旧亀山藩家老の近藤幸殖と加藤伴彦が、八羽石男の説に従い、双児塚を日本武尊の墓だと神祇官に報告したが認められなかった。(日本歴史地名大系)

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