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日本武尊墓 武備伝承地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年4月13日 (土)
三重県鈴鹿市長澤町北能褒野にある日本武尊の墓の伝承地。治定外。武備塚(たけびつか)と呼ばれる。かつては武備神社が付属し、現在は伊勢長沢・長瀬神社となっている。
歴史
古墳としては武備塚古墳群1号墳とされる。高さ3.2m、直径25m。1729年(享保14年)、亀山藩はここを能褒野墓と判断し、武備神社に境内2町四方を寄進。この境内の大きさは延喜式に記載される能褒野墓の規模に従ったものという。近くに車塚(武備塚古墳群2号墳)、宝装塚(武備塚古墳群3号墳)、宝冠塚(武備塚古墳群4号墳)もある。車塚には国学者建部綾足が建てた碑がある。なお1879年(明治12年)10月、日本武尊の墓は三重県亀山市田村町の王塚(丁字塚)に定められた。1769年(明和6年)の『奉納伊勢国能褒野日本武尊神陵請華篇』という文献があるらしい。(日本歴史地名大系)