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日興旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
日興旧跡
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'''日興'''(にっこう)(1246-1333)は、[[日蓮宗]]の[[日蓮宗の諸師旧跡|僧侶]]。[[日蓮]]高弟の'''六老僧'''の一人。[[日興門流]](富士門流)の開祖。甲斐出身。日蓮没後に他の幹部と対立し、[[身延山]]を離れ、[[富士山]]麓を拠点とする。南条時光の支援を受けて[[大石寺]]、[[北山本門寺]]を創建。'''伯耆阿闍梨'''、'''白蓮阿闍梨'''、'''常在院'''。 1248年(宝治2年)、甲斐国巨摩郡大井庄鰍沢に出生。'''大井橘六'''(光重)の子。幼名は'''蓮華麿'''。岩本[[実相寺]]の播磨律師に師事、'''甲斐公'''と呼ばれる。1258年(正嘉2年)、『立正安国論』執筆のために実相寺に滞在した日蓮に師事して改宗。'''伯耆坊日興'''と名乗った。以後、日蓮に常に随従したという。 == 一覧 == *[[甲斐・蓮華寺]]:生誕の地。鰍沢蓮華寺。 *[[実相寺]] *[[下之坊]] *[[身延山]][[久遠寺]] *[[大石寺]] *[[北山本門寺]]:墓所 == 年譜 == *1248年(宝治2年)3月8日:誕生。 *1258年(正嘉2年):日蓮に師事。 *1280年(弘安3年)4月:熱原の法難 *1282年(弘安5年)10月8日:六老僧の三位となる。 *1282年(弘安5年)10月13日:日蓮死去。 *1288年(正応1年)12月:兄弟弟子と離別し、身延山を下る。 *1289年(正応2年):富士の地に移る。 *1290年(正応3年):大石寺創建。 *1293年(永仁1年)2月:北山本門寺を創建し移る。 *1333年(元弘3年/正慶2年)2月7日:北山本門寺本坊で死去。 [[category:人物旧跡]]
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